……お気の毒さまですが……へい……」
私はこのボーイをちょっと憤《おこ》らしてみたくなった。わざと酔っ払いじみた巻き舌でまくし立ててやった。
「篦棒《べらぼう》めえ。十時半が早けあ六時頃は真夜中だろう。露西亜《ロシア》じゃあるめえし……」
「へえ。申訳ござんせん……つい……」
「つい露西亜の真似をしたっていうのか。そんなら何だって表の戸を明けた」
「へえ。これから気を付けます」
「露西亜になれと云うんじゃねえ。第一お前《めえ》の家《うち》はそんなに夜遅くまで繁昌すんのか」
「へえ。お酒を売りますんでつい……」
「つい営業規則を突破するんだろう。二時か三時頃まで……」
「へへっ。お蔭さまで……へへ……」
「何がお蔭さまだ。俺あ初めてだぞ……」
「恐れ入りやす。毎度ごしいきに……」
「そんなに云うんならごしいきにしてやる。飲みに来てやるぞ。女は居ねえのか」
「はい。私くらいのもので……」
「…ぷっ……馬鹿にするな……全く居ねえのか」
「……お気の毒さまで……」
「……そんなら今日は珈琲だけだ。濃いんだぞ……」
「畏《かし》こまりやした」
と云うなり頭を一つ下げてボーイは飛んで降りたが、
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