ーや洋食店は東京中のどこにもないので、恐らくこのカフェーの主人は、自分の店の繁昌と評判を、この赤煉瓦のお蔭と心得ているのであろう。志免刑事はよくこんな些細な事を記憶している男で、岩形氏の靴に赤い泥が附着《くっつ》いているところを見ると、氏は昨夜《ゆうべ》たしかにこのカフェーに這入ったに相違ないのである。
二階に上って、窓に近い椅子に腰をかけると、まだ誰も来ていない。腕時計を見るともう十時半になっている。今の散歩が約十五分かかった事になる。
室《へや》は繁昌する割に狭くて、たった二室《ふたま》しかない。天井も低くて薄暗い上に昨夜《ゆうべ》のまままだ掃除しないと見えて卓子《テーブル》の覆いも汚れたままである。床の上には果物の皮や、煙草の吸殻なぞが一面に散らばっていて、妙な、饐《す》えたような臭いを室中《へやじゅう》に漂わしている。私が烈しく卓子《テーブル》を叩くと、十六七の生意気らしいのっぺりしたボーイが襯衣《シャツ》一貫のまま裏階段から駈け上って来たが、珈琲を濃くしてと云う註文を聞くと、江戸ッ子らしくつけつけと口を利いた。
「まだお早くて材料が準備してございません。少々手間取りますが
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