落ち着いて来た。
「それは支配人が自分で金庫の中に保管しておりますので特別の場合しか出しませぬ」
「……しかし……私が最初にこの室《へや》に這入った時には、絨毯《じゅうたん》の上には紳士の足跡と、ボーイのと、支配人の靴痕しかなかったようですが……支配人もボーイも承認しておりますので、それ以外に靴の痕らしいものはなかったのですが……」
「絨毯の毛は時間が経つと独りでに起き上るものです。ことにあんな風に夜通し窓を明け放ってあります場合には、室《へや》の中の物全部が湿気を帯びる事になるのですから、絨毯の毛は一層早く旧態に返るのです。ですから紳士の足跡は泥で判然《わか》っても、女の足跡は残っていないのが当然なのです。支配人とボーイのは新しいからよくわかったのでしょう。……とにかくこの場は私に委せて頂きたい」
 と云い棄て私はホテルを飛び出した。そうしてホテルの前の広場に立って今一度、二階の左から五ツ目の窓を振り返ってみると、そこには熱海検事の顔が出ていて、気遣わしそうに私を見送っていた。

 これから先、私がどんな風に活躍したかという事実は、正直のところを云うと私としてはあんまり公表したくない
前へ 次へ
全471ページ中110ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング