した、鍔《つば》の広い帽子を冠《かぶ》っているためである。その帽子の色は、ボーイの云う通り服の色が黒だったとすれば、黒か藍かの二つの色が一番よく調和する訳で、それ以外の色では十中八九あり得まいと思う。
 ……なお、この二三年程流行遅れの、質素な黒い洋服をハッキリと思わせる条件がいくつもある。銀行の支配人の言葉によって……これは私だけが聞いた事であるが……その女が、あまり白粉《おしろい》をつけた事がないらしいということ……日本服がよく落着いていなかったという事。紫インキで『タイプライターを扱う女』という事実が推定されること……なぞ……そんな事実を綜合するとこの女は平生洋服を着慣れている……事によるとタイピストかも知れぬと思われる程度の職業婦人である。そうとすれば汚れの着き難《にく》い服の色といい好みといい、丁度その職業にシックリと適当《はま》るものである。
 ……それからもう一つこの女の、それらしい生活程度を明かに示しているのは、今まで見て来た靴の跡である。この靴は多分舶来のもので三四年前に流行した非常に恰好の良い型であるにも拘わらず、その底と踵が著しく磨滅しているのは、この女が服と一緒
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