にはかかわっていない……否、寧《むし》ろその不自由を極めた……世にも自烈度《じれった》い方法でもって、大資本を背景にした民族的大犯罪に喰い下って、盲目滅法《めくらめっぽう》に闘って行かなければならなかったところに、怪事件の怪事件たる価値や風味が、いよいよ深められ、高められて行く。そこに興味の中心が在りはしないかと考えている位である。
だから筆者は却《かえ》って旧幕時代の捕物帳に含まれているような、あの一種の懐古的な……もしくは探奇《たんき》的とも云うべき情景を読者の眼前に展開して、現在長足の進歩を遂げているであろう日本の探偵界と比較して頂きたいという、自分一個の楽しみから、この記録を公表する気になったものである。同時に最新式科学探偵機関の精鋭を極めた警察を有する仏国|巴里《パリー》の真中でこんな記録をものする私のこのカビの生えた頭までもが、一つの小さな反語的《アイロニカル》な存在ではあるまいかというような、一種の自己陶酔的微苦笑を感じている事実までも、序《ついで》に附記さして頂く所以《ゆえん》である。
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上巻
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大正九年(一九二〇)二月二十八日の午後零時半頃であった。
十六七ぐらいに見える異様な洋服の少年が一人、柏木《かしわぎ》の私の家《うち》の門口《かどぐち》に在る枳殻垣《からたちがき》の傍《そば》に立っていたが、私が門口を這入《はい》ろうとすると、帽子を脱《ぬ》いで丁寧にお辞儀をした。
何やら考え考え歩いて来た私は、その時にやっと気が付いて反射的に帽子を脱いだ。そうしてどこかのメッセンジャー・ボーイでも来たのかな……と思いながら立ち止まって、その少年の姿に気を付けてみると、心の底で些《すく》なからず驚いた。
私はこのような優れた姿の少年を今まで嘗《かつ》て見た事がなかった。同時に又、このような異様な服装を見た事も、未だ曾てなかったのである。
何よりも先に眼に付くのはその容貌であった。
全体に丸顔の温柔《おとな》しい顔立ちで、青い程黒く縮れた髪を房々《ふさぶさ》と左右に分けているのが、その白い、細やかな皮膚を一層白く、美しく見せている。そうしてその大きく霑《うる》みを持った黒眼勝ちの眼と、鼻筋の間と、子供のように小さな紅い唇の切れ込みとのどこかに、大|奈翁《ナポレオン》の肖像画に見るような一種利かぬ気な、注意深い性質が現われているようであるが、それが又|却《かえっ》てこの少年の無邪気な表情を、一際異様に引き立てていて、日本人としては余りに綺麗に、西洋人としてはあまりに懐《なつか》しみの深い印象を与えている。全体としては絵画や彫刻にも稀な、端麗な少年と云って、決して誇張でないであろう。
これが私を「おや」と思わせた第一の印象であった。
しかし、単に容貌を見ただけで相手を評価するのが大間違いである事は、多年の経験で知り過ぎる位知っている私であった。だからこの少年の容貌の端麗さに驚かされた私の眼は、その次の瞬間に、本能的に少年の服装に移って行ったが、これも亦、際立って異様で、見事なものであった。
英国製らしい最上等の黒|羅紗《らしゃ》に、青|天鵞絨《ビロード》の折襟《おりえり》を付けた鉄釦《てつぼたん》の上衣を、エナメル皮に銀金具の帯皮で露西亜《ロシア》人のように締めて、緑色柔皮《グリーンレザー》の乗馬ズボンを股高《ももだか》に着けて、これもエナメル皮の華奢《きゃしゃ》な銀拍車付きの長靴を穿《は》いている。右の手には美術家が冠《かむ》るような縁の広い空色羅紗の中折帽に、その頃はまだ流行《はや》らなかった黒|皮革《かわ》の飾紐《リボン》を巻いたのを提げて、左手には水のようなゴム引き羽二重《はぶたえ》の雨外套《レインコート》とキッドの白手袋と、小さな新聞紙包を抱えながら、しなやかな不動の姿勢ともいうべき姿で立っている。
全体の仕立の好みからいうと米国風であるが、着こなしの感じからいえば中欧あたりの貴族の子弟のようにも思われる。伊太利《イタリー》辺の音楽師を見るような気持ちもするが、さてどこの人間かを判定しようとなると、チョット見当が付きにくい。
これが私が驚かされた第二の印象であった。
けれども、それよりももっと大きな眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、17−14]《みは》らせられて、もっと深く感歎させられたのは、その服の仕立のいい事と、その持ち物の一切合財《いっさいがっさい》が、鋏《はさみ》と剃刀《かみそり》の痕《あと》の鮮かな頭髪に到るまで、一つ残らず卸《おろ》し立てである事であった。
恐らく日本中のどこの洋服屋でも、こんなに品よく、ピッタリと仕立上げる事は出来ないであろう。腋《わき》の下の縫い目などに十分のユトリと巧妙味《うまみ》を見せているところだ
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