の、上衣に並んだ十個の鉄釦と、ズボンのふくらみとの釣合いに五分の隙《すき》もないところなぞを見ただけでも、たしかに外国仕立で、しかもこの種類の服装を扱い慣れた専門家の手にかけたものと判断しなければならぬ。こうしてこそ初めて服装は肉体美を更に美化するものという事が出来よう……否……単に服装ばかりでなく、この少年の持物の全体を通じて何一つ上等でないものはない。そうして更に驚くべき事には、その服も帽子も、オリーブ色の雨外套《レインコート》も、染料の香気がまだプンプンしているらしい仕立卸しで、硝子《ガラス》のように光っているエナメル靴の踵《かかと》までも、たった今土を踏んだばかりのように一点の汚れも留めていない事であった。
 私は少年の異様に白い顔と、この服装とをモウ一度見上げ見下した。これはどこかの洋服屋の飾窓《ショーウインド》の中に在る蝋人形がそのまま抜け出して来て、ここに立っているのではないか……とあられもない事まで疑った。けれどもその黒く霑《うる》んだ瞳と、心持ち微笑を含んだ唇が明かに私のこうした妄想を裏切っている事を認めない訳に行かなかった。
 ……不思議だ……わからない……。
 私がここまでこの少年に就《つ》いて観察して来たのはほんの二三秒ばかりの間の事であった。こうして二十八の年から四十九歳の今日《こんにち》まで警視庁に奉職して、あらゆる難問題を解決して、鬼|狭山《さやま》とまで謳《うた》われた私の眼力は、この少年の五尺二寸ばかりの身体《からだ》を眼の前に置きながら、遂に何等の捕えどころも発見し得なかった。僅かに発見し得たものは皆、驚きと感心の材料になるばかりであった。
 ……一体この少年は何者であろう。
 ……外国人か、日本人か、それとも混血児か。
 ……どこから来た者であろう。
 ……何しに来たものであろう。
 ……特に自分に対して何の用があって来たのであろう。
 私は今一度ジット少年の顔を見た。
 あとから考えるとこの時の私の眼は、嘸《さぞ》かし鋭い光りを放っていたであろうと思う。
 私は今まで、たった一眼見ただけで、その人間の職業や性格は愚な事、その経歴まで見破った例が少くないが、それだけに私の眼は鋭い光りを放っていた。嘗て或る脱獄囚が、立派な紳士の服装をしているのを、どこかの職工が金でも儲けたのか知らんと思って見ていたら、その男はいきなり私の傍へ来てパナマ帽を脱いで、
「何卒《どうぞ》宜しくお頼ん申しやす。私《わし》で御座いやす。貴方《あなた》のその鋼鉄のような眼で睨まれちゃ、逃げようにも逃げられません」
 と云った位である。況《ま》してこの時は、たかが一介のビショビショ少年の正体を見破る事が出来なかったのみならず、あべこべに驚かされ、迷わされ、感心させらるるばかりで、手も足も出なくなった口惜しささえ感じていたのだから……そうして初対面の作法も何もかも忘れて睨み付けていたのだから必ずや容易ならぬ眼色《めいろ》をしていたに違いないと思う。
 ところが少年は、そうした私の眼の光りに射られながらちっとも臆した色を見せなかった。ただ持ち前の無邪気な、落ち着いた眼付きで私を見上げていた。……のみならずその黒い大きな、二重瞼の眼はこんな事を云っているようであった。
「貴方が私を御覧になるのは只今が初めてでしょう。けれども私はずっと前から貴方のお顔を知っていたのですよ」
 ……と……。又その素直な恰好のいい鼻は、
「私がここにお伺いしましたのは大切な用事をお願い申上げたいからですよ」
 という意味をほのめかしたようであった。そして又、その人懐《ひとなつ》こい可愛らしい締った唇は、軽い微笑を含んで無言の裡《うち》に云っていた。
「私は只今初めて貴方と言葉を交す機会を得たのを大変に嬉しく思います」
 ……と……。そうしてその身軽そうな均整《ととの》った身体《からだ》つきは、
「貴方をどこまでも正しい、御親切な方と信じております。貴方を深く深く尊敬しております」
 という心持ちを衷心《ちゅうしん》から表明しているかのように見えた。
 正直なところを白状すると、私は、こんな風に落ち着いた少年の態度を見れば見るほど、心の底で狼狽させられたのであった。あとから思い出しても顔が赤くなるくらいイライラさせられたのであった。相手は自分をよく知っていて、すっかり信用して落ち着いているのに、こっちは少しも相手がわからないでいるばかりでなく、ただ無暗《むやみ》に驚いて、感心して、疑って、躊躇《ちゅうちょ》しているのが、我身ながら恥かしくて腹立たしいような気がしたのであった。正直のところこんな心持ちを味わったのはこの時が初めてであった。
 これだけがこの少年に対する私の最初の印象であった。
 折から門内に高く聳《そび》ゆるユーカリ樹の上を行く白い雲が
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