はまだ左程《さほど》に禿《は》げていず、全体に醜くはないが、好男子という程でもない。しかしどことなくノッペリしたところは貴族的で婦人に敬愛されそうな顔立ちである。かなり高い顳※[#「※」は「需+頁」、第3水準1−94−6、61−10]骨《しょうじゅこつ》と、薄い眉とは犯罪性をあらわし、狭く尖《とが》った鼻の頭と、稍《やや》角張った大きな顎《あご》は敗け惜しみの強い性格をあらわしているが、小さな分厚い唇はどちらかといえば考えの浅い、お人好しの性格を見せている。これに反して広い平ったい額は疑い深い、もしくは底意地の強い才智の働きを表明し、耳は又、女性的で温順《おとな》しい恰好をしているなぞ、随分矛盾した特徴を持った顔で、全体を綜合した印象から云っても、ちょっとどんな性格か要領の得難《えにく》い表情と云わねばならぬ。ただ、眼だけは誰が見ても酒精《アルコール》中毒で、白眼が黄色く濁って、暴風雨の後《のち》の海を見るような気味のわるい光りを放っている。
 ◆体格 身長五尺六寸余。酒肥りにデブデブ肥っていて体量も二十貫位ありそうに見える。顔も手足も真黒く日に焼けているが地肌は酒で色付いている胸部を除いては、白い方である。又、昔はかなり烈しい労働に従事したらしく手足の皮が厚くなっているし、腕力も相当にあるらしく、左の腕に一度小さな刺青《いれずみ》をして焼き消した痕がある。しかし、それがずっと前に東京市内で流行した不良少年用の花型のものか、外国の無頼漢用の骸骨《スケレトン》式のものか、それとも普通の恋愛沙汰から来たハート型に頭文字《イニシアル》の組合わせ式のものかというような事は、ちょっと判別出来なかった。

   服装[#ゴシック体]

 ◆服装 外套は焦茶色の本駱駝《ほんらくだ》で、裏は鉄色の繻子《しゅす》。襟《えり》は上等の川獺《かわうそ》。服は紺無地《こんむじ》羅紗《らしゃ》背広《せびろ》の三つ揃いで、裏は外套同様。仕立屋の名前はサンフランシスコ・モーリー洋服店と入っている。持主の頭文字《イニシアル》は初めから縫い付けてないらしく引き剥がした痕跡もない。外套、上衣とも襟の処には葉巻の芳香と、熟柿《じゅくし》臭い臭気とが沁《し》み込んでプンプンと匂っている。帯革は締めず。青い革のズボン吊り。本麻、赤縞ワイシャツに猫目石のカフスボタン。三つボタンは十八金。襟飾《ネクタイ》は最近流行し初めた緑色の派手なペルシャ模様。留針《タイピン》は物々しい金台の紅玉《ルビー》。腕輪はニッケルの撥条《ばね》。帽子は舶来の緑色ベロアに同じ色のリボン七|吋《インチ》四分の三。但し内側はかなり汗じみている。青スコッチの靴下。靴は舶来のボックス十二文で俗にいうブルドッグ型編上である。

   携帯品[#ゴシック体]――右、左、内、外、後とあるのはポケットの位置を示す――

 ◆外套 【右外】何かを拭いたらしい棒のように絞り固めた白麻のハンカチ一つ。敷島らしい煙草の屑。【左内】ハバナ製葉巻を三本|容《い》れた鉄製の容器一個。岩形氏の掌《てのひら》と同様の泥の指紋が附着した小さな鋏一個。
 ◆上衣 【右内】万年筆のインキの切れかかったままのもの一本。鰐皮《わにがわ》の紙入れ一個。その内容は百円札七枚、十円札二枚、五十銭札五枚。一銭銅貨二枚。計七百二十二円五十二銭|也《なり》。岩形圭吾と印刷した名刺十三枚。外にもう一枚岩形の形という字の上部から横に破り取った下半分の名刺。及び、岩形と彫った小型の水晶印一個。【左外】濃紫色の女持絹ハンカチ一枚[#「濃紫色の女持絹ハンカチ一枚」に傍点]……その他中略……。
 ◆胴着《チョッキ》 【左外】ウォルサム製|廿型《にじゅうがた》金時計。金鎖。蓋附磁石。十四金鉛筆附。いずれも頗《すこぶ》る古いもので、その時の正確な時間十時十五分を示している。
 ◆ズボン ……一部中略……【右後】残弾四発を有する旧式五連発ニッケル鍍金《めっき》小型|拳銃《ピストル》。旋条がかなり磨滅し、撃鉄や安全環はニッケルが剥落して黒い生地《きじ》を露《あらわ》し、握りの処のエボナイトの浮彫《うきぼり》も、手擦れで磨滅してしまっている。少くとも十年以上使用したものである。
 ◆附記 注射器は日本製で岩代屋《いわしろや》の刻印があり、最近に求めたものらしく、針は予備針とも、最小のしなやかなものである。又、注射用の毒薬を入れた小瓶は普通の茶色の小瓶で、買った店の受取証のようなものは無論見当らず、中には極少量の薬液が附着しているようであるが、何が入っていたものか見当が付かない。ただ軽いアルコールらしい臭気が残っているばかりである。そうして注射器の筒にも、茶色の小瓶の栓や外側にも、岩形氏の掌《てのひら》と同様の泥の指紋が真白に附着している。
 ◆備考 (一)岩形氏の持物の中
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