署より司法主任|野元《のもと》警部、戸次《とつぐ》刑事部長以下刑事二名が現場に出張したるが、その結果、一本の注射器と毒物の容器とおぼしき空瓶が発見され、更に屍体を詳細に調査したる結果

     左腕上膊部に小[#大文字]
     さき注射の痕跡[#大文字]

 あり。その部分のシャツが上下二枚とも同一箇所を重ねて鋏様《はさみよう》のものにて截《き》り破りある事実が発見されたり。然《しか》れどもその他の室内の物品は何一つ紛失、または攪乱されたる形跡なく、岩形氏所持の大型金時計は正確に、その時の時刻七時四十一分を示しおり。ただ敷き詰めたる絨毯の上に、岩形氏の泥靴の痕跡が、廊下より続きて入り来《きた》れるのを見るのみ。ここに於て日比谷署の司法主任野元警部はその容易ならざる怪屍体なることを認定し、この旨を警視庁、及《および》、検事局に報告するところあり。警視庁よりは第一捜索課志免主任警部、飯村刑事部長、金丸、轟二刑事、鑑識課員の数名と共に時を移さず現場に出張し、又、検事局よりは新進明察の聞え高き熱海《あたみ》検事と古木書記とが臨場して詳細なる調査を遂げたるが、その結果は更に幾多の怪事実の発見となり、疑問に疑問を重ぬるのみ。殆んど、その自殺なるか他殺なるかの判断さえも不可能なる状況となりしを以て、遂《つい》に吾が狭山第一捜索課長の出動を待つに一決し、電話を以てこの旨を警視庁に急報せり。

   鬼課長の出動活躍[#大文字]
     ――遂に他殺と決定す――[#大文字]

 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 ここまで読んで来ると私は思わず赤面した。
 この事件に関する私の活躍は、表面上大成功として都下の新聞に謳歌《おうか》されているのであるが、実は尻切れトンボ式の大失敗に終っているのである。ことにこの変死した岩形圭吾と名乗る紳士こそは……私は最初から事実を暴露しておく。その方が面白いと思うから……某国から日本に派遣されたその第一回の暗黒公使であることを発見し得べき奇怪な手がかりが、新聞記事にまでハッキリと描きあらわしてあったにも拘《かか》わらず、うっかりと見逃してしまって、あとで吃驚《びっくり》させられたのは返す返すも醜態であった。……しかし度々余談に亘るようであるが、この岩形圭吾氏の変死事件は、第二回の暗黒公使事件に参考すべき予備知識として、必要欠くべからざる重大事項であると同時に、私がJ・I・C秘密結社の内容を真剣に研究し初めた、その最初の動機になっているのだから止むを得ない。ここにすべてを打ち明けて、私の失敗に関する裏面の消息を明かにしておきたいと思う。
 以上の事実をそれから間もない正八時に登庁して、電話で聴き取った私が、迎えの自動車で現場に到着したのは、岩形氏の屍体が発見されてから約一時間半の後《のち》であったが、ホテルの玄関まで出迎えた部下の二刑事と連れ立って十四号室の前まで来る間に、そこここの室《へや》から、男や女の顔がいくつも出たり引っ込んだりした。皆、今朝《けさ》の出来事を耳にしているらしく、脅えたような眼付きをしていたが、私はそんなものには眼もくれずに、まだ扉《ドア》を閉じて寝ているらしい室《へや》の番号だけを記憶に止めた。一寸《ちょっと》した注意であるが同宿の者の中《うち》に犯人があって、自分が殺しておきながら知らん顔をして寝ていたという実例が数え切れない程ある。そんな疑いのある者は喚び起して眼の球《たま》を見れば亢奮して充血しているのか、睡眠不足で充血しているのか、又は、酒のためか、病気のためか、それとも本当に安眠していたのかという事が、今迄の経験上、大抵一眼でわかるので、いよいよ見極めが付かぬ時は、その手段を執るより外に方法はないのである。
 問題の第十四号室は、宮城の方に向って降りて行く階段の処から右へ第五番目の室《へや》であった。その室《へや》の内外は最早《もはや》、既に、鑑識課の連中が、志免警部の指揮の下に、残る隈なく調べ上げている筈であったが、私は念のため入口の扉《ドア》に近付いて、強力な懐中電燈を照しかけながら、その附近に在る足跡を調べて見ると、すぐに眼に付いたのは大きな泥だらけの足跡で、入口の処で、扉《ドア》を推し開くために左右に広く踏みはだけてある。これは疑いもない岩形氏の足跡で、岩形氏が昨夜《ゆうべ》泥酔して帰った事実が容易に推測される。それから私は黄色くピカピカ光っているワニス塗りの扉《ドア》にも、無造作に懐中電燈の光りを投げかけてみると、扉《ドア》の上半部に在る大きな新しい両手の指紋の殆んど全部と、把手《ノッブ》の上に在る右手の不完全な指紋が直ぐに眼に付いた。しかも、それ等の指紋には一つ残らず、ハッキリと白
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