った。……のみならず、その当の目標の曲馬団は間もなく、今日まで見世物の興行などを一度も許された事のない丸の内の草原《くさばら》の中に大きな天幕《テント》張の設備を初めた。そうしてバード・ストーン氏に率いられた団員の全部がオリノコ丸で到着して、日比谷の帝国ホテルと、本郷の菊坂ホテルに投宿してから、曲馬の興行を初めるまでの一週間の間に、東京中のありとあらゆる新聞に出した大々的の広告を見ると、益々不平の念が昂《たか》まって来た。その上に、大抵の興行物は、入費を節約するために、到着すると直ぐに興行を初めるように手配りをするのが普通であるのに、この曲馬団に限ってそんな気ぶりがない。途方もない前から先発隊が来て長々と準備をしていたであろうにも拘わらず一週間の長い間大勢が高価《たか》いホテルに泊ってブラリブラリとしている。……のみならずバード・ストーン団長を初めとして皆パッパと金を遣《つか》うらしく、新聞界や花柳界にわいわいと騒がれているなぞ、見る毎《ごと》に聞く毎に私自身が馬鹿にされたり、当てつけられたりしているような感じがしているところであった。その私の疑いと、憤慨の当の相手の曲馬団にこの少年が属していたというのだから、私が驚いたのは無理もないであろう。腹の底から唸り出したのは当然であろう。
私は暫くの間、瞑目して考えた後《のち》に、おもむろに眼を見開いて少年の顔を見た。
少年も私の顔をじっと見ていたが、その眼の底には一種の光りが流れていた。
「……それでは君はあの曲馬団から脱け出して来たのですね」
「ハイ。あの曲馬団は私の敵ですから」
この少年の言葉には今までと違った凜々《りん》とした響があった。私は躍る心を押えながら、一層大きく眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、46−10]《みは》った。
「どうしてあの曲馬団が敵なのですか」
「あの曲馬団長のバード・ストーンは私の両親を苛め殺したのです。直接に手を当てて殺す以上に非道《ひど》い眼に会わして殺したのです」
「……フーム……それはどんな手段で……」
少年は答えなかった。いかにも無念そうに唇をきっと結んだまま、私が持っていた曙新聞を受け取って、同じ一昨年の十月十四日の夕刊の社会面を開いて、前の広告と同様の赤丸を施した標題《みだし》を指さし示した。それは初号活字三段抜きの大標題で、次のような記事が殆んど社会面の全面を蔽うばかりに掲載されていた。
東京駅ホテルにて[#大文字、太字]
富豪紳士毒殺さる[#大文字、太字]
昨夜深更の出来事[#中文字]
本日午後三時端緒つく
狭山鬼課長出動活躍[#ゴシック体]
昨十三日夜、東京駅ステーションホテル第十四号室に約一週間前より滞在せる印度《インド》貿易商|岩形圭吾《いわがたけいご》氏(四五)は、昨夜泥酔して帰来したるが、本朝に至り着のみ着のまま寝室のベッドの上に横臥して死しおれるを、同|室《へや》附きのボーイが発見して大騒ぎとなり、吾が鬼課長狭山九郎太氏が出動して検屍したるに、同岩形氏の横死の裏面に重大なる犯罪の伏在しおるを認め、全力を竭《つく》して活動の結果、犯罪発見後数時間を出でざる本日午後三時に至り、その裏面の秘密を尽《ことごと》く発《あば》きつくせる事実を、本社は遺憾なく探知するを得たり。而《しか》してその事実の経過を見るに、実に容易ならざる犯罪事件にして、その犯行の原因の不可解なる、又、加害者と被害者の行動の異状なる、而してその犯罪の巧妙にして深刻なる、実に近来|稀《まれ》に見る怪事件にして、これを解決したる狭山課長の苦心、亦《また》実に手に汗を握るものあり。今その詳細に就き本社が特に探り得たるところを記さん。初めに、
岩形氏の変死を[#大文字]
発見したる給仕[#大文字]
山本千太郎(一八)はこの由を直ちにホテルの支配人竹村氏に知らせたるを以《もっ》て、同氏は直ちに現場に到りしに、岩形氏は紺羅紗《こんらしゃ》の服に、茶褐色の厚き外套を着し、泥靴を穿《は》きたるまま、寝台の上に南を枕にして西向きに横たわり、帽子は枕元に正しく置きてあり。双《そう》の掌《て》と、外套の袖口と、膝の処が泥だらけになりおれども、顔面には何等苦悶の痕《あと》なく、明け放ちたる入り来《きた》る冷風に吹かれおり。ボーイ山本千太郎の言に依れば、窓は初めより明け放ちありて入口の方を背にして横たわりおりしを以て全く泥酔して帰りたるまま横臥し、朝風に吹かれいるものと思い、近づきて呼び試みたるに返事なかりしより疑いを起したるものにして、なお入口の扉《ドア》も屍体発見以前より鍵がかかりおらず。暫くノックしても返事なかりしを以て、無断にて開きたる旨陳述せり。急報に接し日比谷
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