氏と打合わせの結果、大連埠頭で、現場貨物主任の日本人一名を買収し(費用二千|弗《ドル》程度)直接に貨車に積込み、奉天まで運んでから組み立てるのが最も安全であることが判明したから、そのつもりで船の手配を考慮されたい事……又、日本の現政府与党、憲友会の幹事長Y氏が、××大使の紹介の下に貴下《きか》に会いたがっている。これは日本国内各地の築港事業の促進を名として米国の低資を産業銀行に吸収し、来るべき解散に次ぐ総選挙の費用として流用する目的らしい情報が大使の手許に……」
「……これッ……」
と叫ぶなり高星総監は椅子の中から手をさし伸ばすと、いきなり私が読みかけている暗号電報の写しと和訳を、両方一緒に引ったくってしまった。そうして床の上に落ちたまだ長い葉巻を踏み付けながら、偉大な身体《からだ》をヌックと立ち上らせて、私の鼻の先に突立った。見るとその顔は真青になって唇の色まで変っている。電報の内容の恐ろしさに胆を潰したものらしい。
私は吃驚《びっくり》しながらもそれ見たことかと思った。それにつれて頭を擡げかけていた癇の虫が半分ばかり鎮まりかけたが、総監の方はなかなかそれどころではないらしい。自分が支配している警視庁のまん中に立っていながら、廊下にスパイでも居るかのように、わざわざ入口の扉《ドア》を開け放して来て、突立ったまま電文の和訳の残りを読み終ると、もう一度廊下の方をチラリと見ながら、私の顔に眼を移した。そうして容易ならぬ顔付きで訊ねた。
「この電文の内容はどこにも洩れておるまいな」
この侮辱的な一言はやっと鎮まりかけた私の癇癪《かんしゃく》をぶり返すのに十分であった。思わず皮肉な冷笑を浮べながら云い放った。
「そんなヘマな事は致しませぬ。私は閣下よりも長く警視庁に勤めている者です。のみならず日本帝国の臣民です」
総監の額に青筋がもりもりと膨れ上がった。そのツルツルした禿頭《はげあたま》の下から頭蓋骨の割れ目がアリアリと見え透《す》いて来た。あんまり立腹し過ぎて口が利けないらしかった。その顔を見上げながら私は心の底で免職を覚悟してしまった。そうして事の序《ついで》にもう一本痛烈な釘《くぎ》をぶち込んで二十年間の溜飲を一度に下げてやろうと決心したのでいよいよ落ち着いて咳払いをした。
「……エヘン……この後《ご》とても私はその秘密を洩らすような事は絶対に致しませんから何卒《どうぞ》御安心下さい。しかしこれだけの事は御参考までに申上げておきます。その電文の内容が全部実現することになりますれば、現政府は満洲と西比利亜《シベリア》の利権を米国に売って、総選挙の費用を稼ぐ事になります。……ですから万一閣下がその電文を握り潰してお終《しま》いになるような事がありますれば私は大和民族の一員として、到底黙って見ている訳に参りませんから、個人として新聞に……」
「黙り給え……」
と総監は低い、押え付けた声で云った。真白に眼を剥《む》いて……。
「それ位の事がわからぬと思うか。余計な心配をするな」
「……でも……この捜索を打ち切れと仰言《おっしゃ》るからには……」
「……ダ……黙り給えというに……君はただ命令を遵奉《じゅんぽう》していさえすれあいいのだ。吾輩と同様に内務大臣の指揮命令に従うのが吾々の職務なんだ」
総監はここでやっと落ち着いて来たらしく、ハンカチを出して額の汗を拭いた。
「……しかし内務省の指揮命令は、いつも政党の利害を本位としております。司法権はいつも政党政派の上に超越さしておかなければ、現にこのような場合に……」
「……いけないッ……君はまだ解らんのか」
総監はすっかり平生の威厳を取り返した。その物々しい身体《からだ》で私を圧迫するように、ノッシノッシ近付いて来ると冷やかに私を見下した。
「……一言君の参考のために云っておく。この曲馬団に対する現政府の方針が間違っていたらその責任は現政府が負うであろう。しかし君の遣り口が間違っているために国際的の大問題を惹起するような事があれば、その責任は吾輩が負わねばならん」
「……………」
「それさえ解っておったら、別に云う事は無い筈である」
私は黙って頭を一つ下げると、さっさと総監の自室を出て行った。
私はその夜の中に辞表を書いて総監の手許に差出した。しかもその辞表はすぐに受け付けられたのである。そうして私の後釜《あとがま》には、私が初歩から教育した敏腕家で、この二三年の間に異数の抜擢《ばってき》を受けた私の腹心の志免不二夫《しめふじお》が、警視に昇進すると同時に坐ることになった。
この一事は私の憤慨を大部分|和《やわら》げたのであった。けれどもそれが私の手柄を横取りして現内閣の御機嫌を取った総監の私の不平に対する緩和策であることに気が付くと、その不平が又もや大部分盛り返してしま
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