のを深く深く遺憾に存じている者でございます。
 わたくしは包まず申上げます。
 この一座の花形として、皆様から一方《ひとかた》ならぬ御贔屓《ごひいき》を賜わっておりました、あの伊太利《イタリー》少年のジョージ・クレイはどうした訳か存じませぬが今朝《けさ》から行方がわからない事に相成りました」
 嬢がここで一寸息を切ると場内の処々《しょしょ》に軽い……けれども深い驚きの響きを籠めた囁きの声が、悲風のように起った……と思ううちに又ピタリと静まった。
「それで団員一同は八方に手を別けて探しているのでございますが、只今になりましてもやはり、その行方が判らないのでございます。……でございますから私共団員一同は、私共の不注意のために、折角皆様が楽しみにしておいでになりました、お眼当ての演技を、今日の番組から除かなければなりませぬのを深く深くお詫び申し上げなければなりませぬ。
 申すまでもなく警察方面にもお願いして、出来るだけの事を尽して探しているのでございますから近いうちに皆様の御満足になるような結果を得られます事と、わたくし共は固く信じております次第でございます。……それで誠に失礼な、又は身勝手千万な致し方とは存じますが、せめて今日の不都合のお詫びの印と致したい心から、この次に御買求めになります切符の半額券を、お帰りの節に入口の処で差上げる事に致しておりますから、何卒御遠慮なくお持ち下さるようにお願い致します。
 実は団長のバード・ストーンが自身に皆様にお詫びを致しまして、このような御挨拶を申上げなければ相済みませぬのでございますが、只今その事で、警察から横浜の方へ参っておりますから、不調法ではございますが、わたくしが代りまして、お詫びをさして頂く次第でございます。
 かような訳で、わたくしども団員一同は、ジョージ少年が帰って参りますまで、全力を挙げまして新番組を色々差し加えまして皆様の御機嫌を取り結ぶ覚悟でございますから、何卒《どうぞ》わたくし共一同の佯《いつわ》りのない赤心《まごころ》をお酌み取り下さいまして、この上とも末永く御贔屓を賜わりますように、団員一同を代表致しまして、わたくしから幾重にもお願い申上る次第でございます」
 それは僅か十五六の少女にしては立派過ぎた挨拶ぶりであった。多分ハドルスキーか何かが教えたものであろうが、それにしてもよくこれだけ整って記憶出来たものである。更にこれを述べた嬢の態度は、実に真情に満ち満ちていて、衷心から……相済みませぬ……という感情に充たされていたために、英語の解らぬ人々までも同情を惹いたらしくあとで傍に立っている燕尾服の男が通訳をすると、皆割れるような喝采をして嬢の謝意に対する好意を表した。
 けれどもその喝采の声は間もなくぴたりと止んだ。見物一同の眼はこの時、嬢と燕尾服の男を離れて、楽屋口から二人の人夫に運び出されて来る高さ二間幅一間ぐらいの大きな立看板に集まった。その表面には墨黒々と左《さ》のような文句が記されて、赤インキで二重圏点が附けてある。

[#ここから表罫囲み]
 三万円の懸賞[#特大文字、二重丸傍点]
  ジョージ・クレイを見知り給う人々に急告す。
今後一週間以内にジョージ・クレイの居所を通知し賜わりたる方々には先着者に一千円[#「一千円」は大文字、太字]を、その他の方々に五百円宛[#「五百円宛」は大文字、太字]を贈呈す。又同少年を同伴し賜わりたる御方には現金三万円[#「現金三万円」は大文字、太字、「三万円」に二重丸傍点]を贈呈す。尚、同少年を御見識りなき方々は表の絵看板を御覧ありたし。
   麹町区内幸町帝国ホテル内
   バード・ストーン曲馬団事務所[#大文字、太字][#地付き]
[#ここで表罫囲み終わり][#表罫囲み内の特に注記のない文字は中文字]

 見物一同は暫くの間鳴りを鎮めてこの立看板を見詰めていたが、やがて前とは違った深い驚きのどよめきが一隅から起って、忽ち見物席の全部に及んだ。
 三万円……高が一少年の行方を求むるために三万円の懸賞……あの少年が出場しないという事は、それ程にこの曲馬団に打撃を与えるのであろうか。一介の少年ジョージ・クレイの技術はそれ程に価値のあるものであろうか。そうして又、何という手早い、思いきった処置の取り方であろう。少年の失踪は今朝《けさ》の事ではないか……というような意味の驚きのどよめきでそれはあったろう。これは無理もない話で、事情を知っている私でさえもちょっと驚かされた位である。
 人夫は立看板を抱えたまま、見物の前二三間の処まで来て場内を一周した。最後にこの掲示が見物席の正面、楽屋の出入口に持って行って、あとから出来上ったらしい赤インキの滴《したた》り流れた英文の立看板と一緒に立てかけられると、いつの間にか楽屋に引込んでしまった
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