が一種の清らかな、侵し難い気品に包まれている。しかもこの気品は後天的な修養で得られるものではないので、事によるとこの少女は、欧洲のどこかの貴族の出ではあるまいかと疑った位である。いずれにしてもこの曲馬団の花として露西亜趣味の荒っぽい演技の中《うち》に嬢の姿を加えたのは、取り合わせからいっても大成功と云わねばならぬ。満都の人々が嬢の姿を見るためにかように熱狂して集まって来るのも無理はない。
嬢を加えた演技は疾《とっ》くに再開されていたが、私はただ、喝采の声を耳にするばかりで、レンズに限られた範囲しか見ていなかったから、何をやっているかよく解らなかった。
眼鏡の中には嬢を初め他の四名の顔が交《かわ》る代《がわ》る現われた。皆汗を掻いていた。ナイン嬢の耳の附け根にある黒い黒子《ほくろ》が、汗で白粉《おしろい》を洗われたらしくハッキリと見えて来た。色の黒い、逞しい鬚武者《ひげむしゃ》の巨漢《おおおとこ》の髪毛は、海藻のように額に粘り付いている。今一人の若い男は、あまり固いカラを着けているために、首の周囲が擦れて輪の形に赤くなっている。その中《うち》に五人は槍を投げ棄てて、外套を脱いだ。下は身体《からだ》にぴったりと合ったコサックの制服で、最前見た嬢次少年の服装と似たり寄ったりである。四人の男はそのまま、カルロ・ナイン嬢を真中に二人|宛《ずつ》、前後に一列に並んで場内をぐるぐる廻りはじめた。そうして四人が交る代る嬢の肩を飛び越したり、嬢の左右の鐙《あぶみ》伝いに馬の腹をまわったりして乗馬を交換して行った。それから最後には、場内の正面に持ち出された白い卓子《テーブル》の上に、贅沢なサモワルや、酒瓶や、湯気の立つ露西亜料理を並べたのを、夜会服シルク・ハットの座員が取り巻いて椅子に就いて食事を初める。その上を四頭の馬が交る代る縦横十文字に飛び越し初めたのには肝《きも》を冷した。写真ではこの種の芸当を二三度見た事があるが、実際で見ると感心を通り越して寒心するばかりである。但し、カルロ・ナイン嬢はこれに加わらずに、馬を卓子《テーブル》の一方に立てて長い銀革の鞭《むち》を廻して四人を指揮していた。
場内から割れるような喝采が起った。同時にこの演技が終りを告げると、嬢を中心にした四人の騎兵が今度は立乗りをしながら、拍手を浴びつつ一列になって場内を廻転しはじめた。
けれどもその第一周目が終る迄に私はふと妙な事に気が付いていた。ちょっと見たところ、五頭の馬はカルロ・ナイン嬢の銀の鞭で支配されているようであるが、実はそうでない。いつも嬢の直ぐ次に馬を立てるあの色の黒い、鬚武者の巨漢《おおおとこ》が、眼色や身振りで、自在に操っているのである。これは卓子《テーブル》飛び越しの最中に見付けた。それからもう一つはカルロ・ナイン嬢の馬の乗り方があまり上手でない事である。もちろん普通には乗《のり》こなしているに違いないが、他の連中の馬術があまり達者過ぎるために、際立って危なっかしく無調法に見える。しかしこれは、いくらか乗馬の経験を持っている私にそう見えただけで、軽業《かるわざ》見物のつもりで来ている連中には気付かれないかも知れない。
ところでこれだけの事ならば、別に不思議はないようなものであるが、今の第一周目で、五頭の馬が私の前を馳《は》せ過ぎる時に、中央の白馬に乗っているカルロ・ナイン嬢と、その次に馬を立てている鬚武者とが二人ともちらりちらりと私の顔を見て行ったのを見逃す事は出来なかった。或《あるい》はずっと二三間前から私を見詰めて来たもので、私はただ双眼鏡のレンズに入った間だけしか見なかったのかも知れないが、とにかくその二人の眼は、偶然に私を見た眼付きではなかったようである。二人とも何かしら同じ秘密の意味を以て、私の顔を注視して行ったものとしか思われなかった。
……咄嗟の間に私の頭の中はぐるりと一廻転した。
この曲馬団を真先に……まだ全部が日本に到着しない以前から怪しいと睨んだのは、誰でもないここに居る私で、そのために私は警視総監と意見を衝突さして辞職した位である。そうして今日はその正体を見定めに来ている私である。一つは警視総監の鼻を明かし旁々《かたがた》、呉井嬢次の讐討《かたきう》ちの助太刀《すけだち》をするに就いて、準備的の偵察をこころみるために……それからもう一つは嬢次少年が、生命《いのち》に拘る大切なものを蔵《かく》しているという黒い手提鞄《てさげかばん》を、是非とも楽屋から盗み出しておかねばならぬというので、それを手伝ってやるためにわざわざ出かけて来た者である……が……それを彼等二人は感付いているのであろうか……否……否……そんな事は有り得べき道理がない。この大勢中に、どうして私を見付けられよう。
殊に……私は変装をしている。胡麻塩《ごま
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