際、これを爆破する準備とは、吾々J・I・Cの一手に委任されたし。
[#ここで字下げ終わり]
 ……云々……というのでありますが、尚、御参考までに申添えますと、私共はこの第三項の石油貯蔵場捜索のために、日本内地に居ります○○、及び、△△△△を使いまして、来春の学校休暇を手初めに旅行、或はキャムプ生活を奨励し、全国鉄道の沿線、特に××××沿線附近の私設鉄道の輸送状態を過去四五年に亘って詳細に調査する事に決定したものであります。
 そうしてこの仕事の主任……すなわち、所謂《いわゆる》「暗黒公使《ダーク・ミニスター》」となって日本に渡るべく、米国機密局の白紙命令《ブランクオーダー》を受けました小生が、仕事の確実を期するために、日本内地に散在するJ・I・C団員の本名と国籍とを一々取調べさせております中《うち》に、劈頭《へきとう》第一に内報を受けましたのは小生妻ノブ子の名前でありました。
 小生はかくの如き事情の下に、日本に渡って来たのであります。すなわち妻ノブ子を米本国に逐い返して、自身に代ってこの大事業を遂行すべく、テキサス州の富豪中村文吉と偽り、当座の費用十五万円を携えて去る五日、横浜に到着、直ちに東京に入って帝国ホテルに宿泊し、その翌日外務省に在勤中の妻を呼び出して本郷菊坂ホテルの一室で面会したのであります。
 その時小生は妻に面会しましたならば、烈しく妻の不都合を責め、それを理由として遮二無二米国へ逐い返す考えでありましたが、事実は却って正反対の結果になってしまいました。
 ノブ子の涙ながらの物語によって、同人が小生と愛児嬢次のため非常な辛苦|艱難《かんなん》と闘いながら、よく貞節を守り通して来ました事実を、初めて、しかも詳しく承知致しました小生は徹底的にたたき付けられてしまいました。今までの小生の行跡が如何に不都合、非道、且つ無反省なものであったかを心の奥底から覚らせられました。且つ、それと同時に、妻が外務省の反古籠《ほごかご》の中から拾い集めておりました色々な報告によりまして(これもM男爵の所謂逆手段であったかも知れませぬが)満洲王|張作霖《ちょうさくりん》は、決してコンドル、及び、グランド・シュワルトが小生に説明せし如き大人物に非ず。その力は支那全土を攪乱するに足らず。その部下と共に良民を苦しめて不義の栄華を楽しむために汲々としておる者で、今日これを援助するにしても、他日に於て、果して米国のために信義を守る者であるかどうか、信用の限りでない事が判明しました。
 かくして小生の良心は漸く眼覚め初めました。一方に妻の貞節に動かされて、今までの行いを後悔致しました小生は、一方に小生が初めから終《しま》いまでコンドルに欺かれておった事を覚りました。酒色のために良心を晦まされて、資本主義的に腐敗堕落した米国一流の悪政治家の野心を感知し得なかった自分の愚を覚りました。民族的自覚を喪った各人種の綜合体である米国の無政府、無国家的唯物資本主義、もしくは黄金万能主義が組織する社会の必然的産物として、夜を日に継いで醸成されつつある、あらゆる不道徳、不自然、不人情、反法律、反逆、破壊、放縦《ほうじゅう》、堕落、淫虐の強烈毒悪なる混合酒に酔わされて、数千年来自然に親しみつつ養い来った日本民族の純情を失いかけていた自分自身をやっとの事で発見しました。そうしてそのなつかしい日本民族の勢力を殺《そ》ぐべき事業のために、残忍非道なる無頼漢の命《めい》を奉じて出て来た今度の旅行が、如何に屈辱的な、非国民的なものであったかを深く深く反省させられました。
 妻ノブ子の純情によって……愛児嬢次に対する純愛の再生によって……。

 小生のこの時の煩悶が如何に甚だしかったかは、御賢察に任せるほかありません。
 それから後《のち》小生は丸二日の間一度も帝国ホテルへ帰りませんでした。市の内外各所の酒場料理店を次から次へと飲みまわって良心の声を聞くまい聞くまいと努力しました。妻らしい女の影を見ますと、良心に追いかけられるように往来をよろめきつつ駈け出しました。夜は又眠られないままに、こっそりホテルを脱け出して、代々木方面の草原《くさはら》に寝て星を仰いで考え明かすなどして、僅かの間に脱獄囚のように窶《やつ》れ果てた一事でも、略《ほぼ》、御賢察が願える事と思います。
 けれども私は遂に良心の追跡から逃れる事が出来ませんでした。
 小生は去る十月八日の早朝、前後不覚に酔いたおれて、どこかわからないまま睡っておりました草原の中から頭を擡《もた》げますと、折りから降り出した時雨《しぐれ》の中に、蒼然《そうぜん》と明け離れて行く宮城の甍《いらか》を仰ぎました瞬間に、思わず濡れた草の中に正座しました。すっかり酔いから醒め果てて、くたくたに疲れきったその時の私の心の底には、もう理想とか
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