油、軽油を動力とする時代となって来たのであります。
 そのような時代のまっただ中に、地質の関係上、太古以来石油に恵まれておりませぬ所謂《いわゆる》「乾燥島《ドライアイランド》」の日本が、最近の対外政策に関して、どれだけの苦悶を続けて来ました事か。越後の油田は涸渇に瀕し、数百万の生霊の代償として露西亜から貰った樺太《かばふと》の油田が思わしからず、台湾の新油田も多寡《たか》の知れたものである事が判明している今日《こんにち》、石油の不足から来る覿面《てきめん》な戦闘力の不足のために、世界無比の軍隊を有する日本民族が、どれだけの軟弱、退嬰《たいえい》外交を続けて来ました事か。
 最も手近い例としては、吾々移民が、日本のこの弱点を知っている米国政府のために、如何に虐殺的、もしくは半虐殺的の圧迫、侮辱の忍従を本国政府から強いられましたことか。
 日本が欧洲大戦に本気に参加せず、東部戦線に於ける露国の敗退を救うべく、英国から再三の慫慂《しょうよう》を受けたのにも応じなかったのは、偏《ひと》えに背後の米国を警戒して不足勝ちな石油を蓄積したいためと伝えられておりますが、このために日本民族の実力が欧米各国から如何に軽視される立場に陥って来ましたことか。
 更に日本が彼《か》の日英同盟を廃棄し、新嘉坡《シンガポール》と濠洲海軍の脅威を覚悟しつつ日仏の秘密協商の成立に焦慮しているのは何のためでもない。日本が仏領《ふつりょう》印度《インド》に於ける豊富な油田に着眼した結果だと伝えられておりますが、この憐れな石油乞食と化しつつある日本民族の状態を布哇《ハワイ》と比律賓《ヒリッピン》に居る米国の太平洋艦隊が如何にせせら笑っておりました事か。
 このために東洋の時局……特に支那方面に於ける日本民族の発展政策が、如何に米国……特にアングロ・サクソン民族の資本主義政策の横暴専断に任せられて、如何に手も足も出ないまでに叩き付けられて来ましたことか。

 ところがこの形勢が最近に至りまして意外の変化を徴《あら》わしはじめたのであります。日本民族のこうした石油不足から来る軟弱外交が、次第に強硬化して来ました事を、米国の機密局は鋭敏に感じはじめたのであります。同時に紐育《ニューヨーク》ウオル街新タマニー・ホールの首脳部連中は、日本内地に於ける日米戦争に関する著述の出版が、次第に露骨化しつつある事実に驚きはじめたのであります。その他、比律賓附近に於ける日本海軍の大演習。潜水艦の夥しい建造。日本のガソリン製造技術の急速なる進歩。米国の隣国ともいうべき南米ブラジルに対する堂々たる移民開始。満洲に対する露骨なる出兵、等々々。いずれも米国政治家の驚目駭心《きょうもくがいしん》の種とならぬものはありませぬ。これは一体、どうした事でありましょうか。こうした日本の対米態度の硬化はそもそも何を意味するものでありましょうか。
 日本在来の石油タンクの数はその後すこしも増加した模様は見えませぬ。新しい有力な油田が発見された噂も聞えませぬ。それだのに日本は何を力としてかように対米外交の態度を硬化させて来たものでしょうか。これは米国の上下の専門家、非専門家が均《ひと》しく驚愕、怪訝《けげん》の眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、179−5]《みは》っているところであります。
 かくして日本の石油保有量に関する疑問は「日本|一蹴《いっしゅう》すべし」という主張の下に樹《た》てられたる前記の東洋米化政策を実行すべきウオル街の金権政治家と、その仕事を引き受けたJ・I・Cの首脳者とが、その政策の実行に先立って、深甚の考慮を払わねばならぬ重大問題と化して来たのであります。

 この問題に関する前記のウオル街、全権代表、G・シュワルト氏と、コンドルと、小生との間に行われました前後数十回の討議は、米国式国民外交の特徴を遺憾なく発揮した波瀾万丈を極めたものでありました。勿論、その会議の中《うち》にはG・シュワルト氏の紹介による匿名の政府吏員も適時参加したのでありましたが、その結果最後の勝利を得たものは、あくまでも強気一点張を以て終始したコンドルの主張でありました。
 すなわち……。
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一、日本の対米硬化は恐るるに足らず。米国政府の極東政策は既定の通り実行すべし。
二、日本の対米外交硬化の原因は、新油田発見の報なき点より見て、石油の秘密購入貯蔵にある事明白なり。又、新動力機関の発明等に非ざるは軍艦、潜航艇等の改造、新設計等が依然として旧態に依るを見ても明かなり。故《ゆえ》に日本内地に於ける石油の秘密貯蔵個所を発見して、万一の際これを爆破するだけの用意を整えおけば、それだけにても戦闘準備は十分なり。
三、日本内地に於ける石油の秘密貯蔵場所を発見する事と、万一の
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