が居りました桑港《サンフランシスコ》を秘密裡に通過して日本に参りました。そうして東京麹町区土手三番町浸礼教会跡に隠れ、外務省機密局に奉職し、J・I・Cのために働く一方、精魂の限りを尽して愛児の行方を捜索しておりますうちに、早くも三年の月日を経過致しました。
然るにこの時、ノブ子が日本に到着する以前から初まっておりました欧洲大戦は正に酣《たけなわ》となっておりまして、聯合国側と独逸《ドイツ》側と、いずれも絶体絶命のところまで押し詰め合って、双方の力は殆んど相伯仲しているかのように見えておりましたのが、漸次独逸側に有利となって来る形勢を示しておりました。すなわち聯合軍側は各種の利害関係と、人種的、もしくは国家的反感のために、統一力の不足を明かに暴露致しておりました上に、勤倹質素の生活に堪え得ないため、刻々に物資の不足を来し、独逸軍の決死的奮戦に見る見る圧倒されまして、今三箇月もすれば決定的に、四分五裂の守勢敗北状態に陥るものと観測されておりました。
ここに於て米国ウオル街の金権連中の中でもモルガン一派の富豪は、その当時までに聯合国側に供給しておりました巨額の資金と物資が貸し倒れとなるのを恐れまして、今まで最後の最後の最後通牒を独逸《ドイツ》に発しつつ軍備の充実を計る傍ら、形勢を観望しておりましたウィルソン大統領の部下二三名の者に賄賂を贈って、出来る限り参戦を早め、至急に動員を行うように勧告させました。
同時に一面に於て、かような形勢に対する大統領の決意を早くも察知しましたウオール街の金権、資本家連中は、直ちに西比利亜《シベリア》出征米国司令官、日本、及び支那駐在の米国使臣と秘密裡に交渉を重ね、又、他方面には英国|愛蘭《アイルランド》の独立運動に潜入せるJ・I・Cの密偵首領と十分なる協議を遂げた後《のち》、露西亜《ロシア》と、独逸と、支那の反乱を助けて、三国を米国資本の支配下に置くべき方針を決定し、モルガン一派と相前後してウィルソン大統領にこの旨を進言しました。これは強大なる陸軍と、高潮せる民族意識を保有せる独逸と露西亜を圧倒すると同時に列強の弱点を押え、一方に支那の利源を糧《かて》として東洋の覇権を握らむと焦慮しつつある日本の死命を制して、全世界を米国資本の植民地化し、米国をして事実上の世界の王たらしむべきウィルソン氏の理想と一致するものがありますが、果して偶然に一致したものかどうかという事は小生の存じております範囲では不明であります。ただ小生はコンドル、即ちウルスター・ゴンクールが、ウオル街の資本家代表グランド・シュワルト(旧タマニー・ホールの残党?)氏より巨額の資金を受取りまして、この手段の実行方法に就き小生の忌憚《きたん》なき意見を求めて来た事実を知っているのみであります。
かくしてウオル街の資本家代表G・シュワルトは、この種の仕事を一手販売にしておりましたJ・I・Cにこの大事業を依頼して来ましたので、コンドルは欧洲方面を引受け、小生は東洋方面の仕事を担任するに決し、その計画を立てる事になりました。
その計画の第一は、先ず、目下満洲に勢力を張っております張作霖に軍資金と、十数台の優秀なる飛行機を貸し与え、従来の親日傾向を放棄させて日本を圧迫させる一方に、一時平静に帰しております支那の内治を再び攪乱し、その虚に乗じて、支那各地の利権と、金融機関の中心を掌握するにありました。
又、これに並行する第二の計画と申しますのは、目下|西比利亜《シベリア》の実権を掌握しております白系露人の有力者を強大なる金力で糾合して一丸となし、極東露西亜帝国を建設し、その心臓となるべき浦塩《うらじお》の金融機関を米国の一手に掌握し、豊富なる西比利亜の金鉱、石炭、木材等の利権を開発する事でありました。
申すまでもなく、如上《にょじょう》の計画は小生の一存で決定したものではありませぬ。ウオル街代表G・シュワルト氏の意を受けたJ・I・C幹部の大体計画によって小生が細部の意見を附け加えましたもので、精密な内容は外務省機密局長M男爵に報告してありますから、ここには略さして頂きますが、ただここに一つ、この仕事の可能か不可能かの運命を決定する重大問題がありました。G・シュワルト、W・ゴンクール、並《ならび》に小生は勿論の事、米国政府の首脳部も唯、この問題の一つのために、極東に対する政策の根本方針を決定し得ずにいる深刻な事実がありました。
それは日本が保有している石油の量という、極めて簡単な一問題でありました。
御承知の事とは存じますが、現在、及び、将来の戦争に於て、その一国の戦闘力を根本的に支配するものは石炭でもなければ、火薬でもありませぬ。唯一つの石油であります。飛行機、軍艦、自動車、タンク等、戦略、戦術の死命を制する器械は悉《ことごとく》重
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