生命《いのち》を奪ったものであります。申すまでもなく小生は酒さえ飲まねば、これ程までに判断力を喪《うしな》う者ではありませぬが、コンドルは小生のこの弱点をよく見抜いておりまして、いつも小生に酒と女を与えて良心を晦《くら》ましつつ、一方に小生が犯罪遂行の計画《プラン》に巧みな事と、比較的金銭に淡泊なため、仲間の人望が集まり易いのを利用して、着々、J・I・Cの勢力を張り、小生を表面的の傀儡団長とし、自分自身を実際の団長とする基礎を築き上げて行きました。
 斯様《かよう》にして小生が数年の間、桑港《サンフランシスコ》に在って、酒と、女と、悪事とを楽しみ、米国の民主主義的自由享楽思想の普及による世界の平和的統一の理想を夢みて、家庭の事を忘れております留守中に小生の妻子は実に、絵にも筆にも描かれぬ怖ろしい眼に会い続けておったのであります。
 或る夜ローサンゼルスの郊外に在りました小生の留守宅は、大勢の覆面強盗に襲われまして、金庫を奪われました上に、ノブ子の貞操までも蹂躙《じゅうりん》されようとしたのでありますが、折柄小生を訪問して来ましたコンドルは一身を以て賊を逐い散らし、ノブ子の危急を救いました。又、或る夜は、家《うち》の裏庭に積んでありました秣《まぐさ》から発火して、住宅を焼き払ってしまいましたが、その時も、偶然に来合わせたコンドルと、桑港《サンフランシスコ》から雉猟《きじりょう》に来ておりました藤波(この遺書の保管者にて小生の旧友)氏の御蔭《おかげ》で、煙の中に打ち倒れている妻子が救わるる事に相成りました。しかもノブ子はこのために一時病気となり、加うるに資金欠乏のために当座の仕事を中止せねばならぬ破目《はめ》に陥りましたが、コンドルはこの時も前と同様に親切に妻の世話を致しまして、巨額の金を貸し与え、仕事が続くようにしてくれました。そのような金をコンドルがどこから持って来たものか、私は今以て怪訝《けげん》に堪えませぬが、そのような事は気付かぬながらに、妻ノブ子は友人として衷心からの感謝をコンドルに捧げておりましただけで、小生の妻たる一事は決して忘れておりませんでした。
 以上の出来事が全部コンドルの策略であった事は申す迄もありませぬ。(但し、藤波氏は全然無関係)コンドルは斯《か》くして小生の妻に佯《いつわ》りの親切を尽す一方、機会ある毎《ごと》に小生の放蕩無頼な生活を聞き伝えるように仕掛けまして小生の事を思い諦めさせようと試みていたのでありますが、些《すこ》しも効果がない事を知りまして、遂に最後の手段に訴え、自身に変装して小生の留守宅を襲い、妻を誘拐しようとしました。けれども数度の事変に懲りておりました妻ノブ子は、この時、既に最後の手段を覚悟していたものと見えまして、強盗の一群が自分を取り囲んでいる事を知るや否や、極力これに抵抗して数名を射殺し、それでも力及ばない事を悟るとその場で愛児嬢次を殺して自殺する決心を示しましたので、流石《さすが》のコンドルも手を引くの余儀なきに至り、今度は方針を改めて、気永に策略をめぐらして、妻を吾物《わがもの》としようと巧《たく》らみ初めました。このような悪事に関する彼コンドルの執念深さは実に驚くのほかありませんので、その手段や技巧が割合いに露骨で、低級なものがあるにも拘らず着々成功して今日の大を致しました原因は一にこの根気に在るものと考えなければなりませぬ。現に女の方面にかけても、米国各地の富豪、有力者の令嬢、女優、女記者等で、明敏な頭脳の持主でありながら、唯一つ、コンドルのかような意志の反覆力に根負けして、彼の妾《めかけ》となり、彼の手先となって活躍している女性が十数名に上っているのを見ても一目瞭然で、従って彼コンドルが、ノブ子に対する執念を今日に至るまで放棄していない事も、明かに首肯さるる次第であります。

 コンドルは小生の妻ノブ子を責め落す半永久的手段の第一着手として、或る日隙を見て愛児嬢次を誘拐して見世物師に売り飛ばしてしまいました。そうして死なんばかりに狂い嘆くノブ子に嬢次の行方を探してやるのだからと云い聞かせて、東部、紐育《ニューヨーク》に連れ出しました。
 しかもノブ子はこの時までも、今迄の迫害がコンドルの所為であった事に気付かずにおりましたので、当時行方不明の形になっておりました小生に断る迄もなく、同人の親切に慰められて兎《と》も角《かく》も心を落着け、家財の全部を同業者に売り払って紐育に移住しましたが、愛児の行方は勿論のこと、色々な事を報告してくれる友人から遠ざかりましたために、小生の行方を尋ねるよすが[#「よすが」に傍点]さえなくなってしまいました。
 一方にコンドルもその後二三年の間はノブ子に付き纏って何かと親切振りを見せ、その心を動かすべき機会を探っておりましたが、遂にその折
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