》を外して、大きな茶色の封筒を取り出して、私の前に差出した。
 私はいつの間にか棒立ちになっていた。依然として無言のまま、感心も、驚きも、又は面目なさも通り越した厳粛な気持になって、その封筒を受取る器械みたように受取って、検《あらた》める器械みたように検めた。中味の書類はフールスカップの半帳を綴じたもので、ノート風の横書の文字がびっしりと詰まっているが、二年の時日が経過しているので、インキの色がいくらか変っている。それを拡げて見ると中から志村浩太郎氏の写真入りの古ぼけた旅行免状が一通出て来た。
「僕は……それを見てから、昨夜《ゆうべ》じゅう夜通し眠られなかったんです。そうして今朝《けさ》すこしばかり眠って、眼が醒めるとすぐに曲馬団を飛び出して来たんです。……もう……我慢……出来なくなっちゃって……」
 少年の声は急に曇った。ハンカチで顔を蔽うと同時に肩をすぼめて戦《おのの》かしながら、机の上に突伏した。
 私は廻転椅子の中にどっかりと落ち込んだ。そうして忍び泣く少年の姿を見ないように横向きになったまま、わななく指で第一頁を開いた。

   警視庁 第一捜索課長
   狭山九郎太氏 足下
     千葉県夷隅郡上野村字中島五百六十四番地[#地付き、地より3字アキ]
     士族 戸主 志村浩太郎 印[#地付き、地より3字アキ]
     明治十七年九月二日生[#地付き、地より3字アキ]
[#上記、1、2行目と4行目の「志村浩太郎 印」は中文字、それ以外は小文字。4行目「印」は○付き文字]

 小生は右の通り貴下と一面識もなき、一介の米国移住民であります。ですから左《さ》に申述べますような事を貴下に御依頼致しますのは非常な失礼で、且つ僭越である事を、深く自省致しておる者であります。しかし小生は小生の自殺に就いて、一度は必ず貴下のお手数を煩わすに違いないであろう。そうしてそのような事情に立ち到りましたならば、貴下は必ずや小生の死状及び、自殺の原因について深い疑問を抱かれるでありましょう。そうして今日迄、幾多の難事件を解決されました場合と同様に、貴下は事件の根本的原因に対して、単身、極秘密の研究調査を遂げられるでありましょう。しかもそのような事に相成りますれば、第一にこの遺書を発見して下さるお方は、失礼ながら貴下以外の何人でもあり得ない。又、小生の死後、妻ノブ子と、愛児嬢次の保護をお頼み申上ぐる程のお方も亦《また》、御迷惑ながら天下に唯、貴下お一人しかおいでにならない事を、深く深く確信致している者であります。

 何をお隠し申しましょう。小生はついこの数週間前まで、米国の黄金帝国主義の手先となって、世界の平和を攪乱する目的の下に組織された、極悪無頼漢の一団体、J・I・C秘密結社の西部首領の地位におった者であります。
 この団体の怖るべき内容に就いては、最早御承知の事とは思いますけれども、御参考のために、後程、概要を申述べたい考えでありますが、小生は最近に至りまして、或る動機から、今までの非行を恥じまして、この団体に属して売国的行為を続くるに忍びず、日本民族存立のため、断然、この団体を裏切り脱退するに決し、秘密裡に財産を纏《まと》めて日本に渡来し、去る九日夜、外務省機密局長M男爵閣下にお眼にかかりまして、J・I・C結社の暗号十二種(中には米国機密局にて使用中のもの二三あり)と、日本内地に散在するJ・I・C団員の名簿と小生の旅行免状とを提出し、然るべき御処置を伏願致しますと同時に、未練な申状《もうしじょう》ではありますが、妻と愛児の身上に就き特別の御寛典を仰ぎたく懇願するところがありました。
 然るにM男爵閣下には小生のかような窮状を見て呵々《かか》大笑されました。そうして小生の旅行免状を返却されながら次の如く訓戒をされました。
「……お前を悔悟せしめたその純乎《じゅんこ》たる大和民族の血を以《もっ》て、今後、国家のために報恩的の奉仕をせよ。お前の妻ノブ子の行為は疾《と》くに察知していたところであるが、余等《よら》は逆に彼女の手を利用し、虚偽の暗号電報を彼女に盗読せしめて、J・I・Cを通じて彼女の手を利用している米国政府を欺瞞していたものである。彼女は要するに頭のいい婦人の通弊として主義理想に走り過ぎたために、このような奸悪手段の手先に利用せられて、売国行為をさせらるるに至ったもので、決して彼女を悪人と云う事は出来ないと思う。さればお前達親子三人の生命は勿論、不問に附せらるべきもので、もとより外務省の関知するところではない。これを表沙汰にしても無用の反感と物笑いを招くばかりである。真の外交手段と云う事は出来ないであろう」
 と云われまして再び呵々大笑されました。
 この大笑の前にひれ伏した小生は、頭髪が一時に逆立ちました。
 J・I・C
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