車に撒かれて、失望して帰って来た志免刑事の一行と、四谷見附から電車に乗りかけていた熱海検事の一行を同じ箱自動車で帰して、近くのおでん屋でぺこぺこの腹を満たして後《のち》、警視庁に反抗した麹町署長に面会して、朝からの癇癪玉を一ぺんに破裂さしていたもので、記者連中が浸礼教会に押しかけて来たのは、その留守であったろう。
 新聞記事の裏面の説明はそれだけである。

 私はその当時の事を思い出して、聊《いささ》かセンチメンタルな、軽い溜息をしつつ、紙面から眼を離した。……と同時に少年も私が読み終るのを待ちかねていたらしく、うつむいていた顔を上げたが、その眼は最前《さっき》の通り黒水晶のように静かに澄み切っていた。けれども、その心の底に燃え上る云い知れぬ激情を、謹み深く押え付けていることが、その真白く血の気を失った頬の色にあらわれていた。私はその頬を見ながら念のために訊ねた。
「それじゃこの志村浩太郎氏御夫婦が、君の御両親なんですね」
「はい」
 少年はちょっと唇を震わしたが、それでも静かに眼を伏せた。
「しかし……」
 と私はまだ不審が晴れやらぬまま、二三度新聞紙を引っくり返しながら問うた。
「……この新聞記事は随分いい加減なものなのです。この事件に関係した事で……まだ君が知らない国家の機密に属する重大な裏面の出来事なぞが全部ぬきになっているのです。……のみならず二年も前の出来事でバード・ストーン曲馬団の事なぞはちっとも書いてないのに、君はどうして君の両親がこの曲馬団に責め殺された事が判るのですか」
「はい」
 と静かに答えた少年は、又も黒水晶のような眼を据えて私の顔を見詰めていた。そうして激しよう激しようとする心を落着けるべく努力しているように見えたが、やがてその長い睫《まつげ》を伏せて、ほっと一つ溜息をすると、如何にも淋しそうに声を落した。
「……僕は……父の遺言書を……見付け出したのです」
 私はポケットから取り出しかけた敷島の一本をぽとりと床の上に取り落した。
「えっ……な……何を……」
「父の遺言書《かきおき》です……その新聞記事を便りにして探し出したのです」
「……この新聞記事から……」
「そうです。それを見て初めて、岩形圭吾と名乗って自殺した志村浩太郎という人が、僕の父親に違いない事がわかったのです。それまでは、自分が最初捨子だったという事より外には何も存じませんでしたし、どこの人種だかも解りませんでしたので、両親に会いたい事は会いたかったのですが、探す当てが全くなかったのです。……ですけども解らない事を考えるのは、小ちゃい時から好きでしたので、暇さえあれば亜米利加《アメリカ》の新聞を読んで、色んな犯罪事件を研究するのを楽しみにしていたのですが、そのうちに最前《さっき》お話ししましたような事から、思いがけなく日本の新聞が手に入りまして、その記事が眼に付きますと、父親の事とは夢にも知りませぬまま、色々と研究しておりますうちに、非常に面白い事件に見えまして、そのために日本に来て見たくて来て見たくてたまらなくなりました。その新聞記事と実際とを照し合わせて、僕の想像が当っているかどうか試してみたくて仕様がなくなったのです。……ところがその中に東部亜米利加から欧羅巴《ヨーロッパ》の方を興行しておりましたバード・ストーン曲馬団が、戦争のために欧羅巴へ行けなくなって、東洋方面へ廻る事になった。そのために高給《たか》い給料で新しい演技者を雇い入れているが、一緒に行かないかと云って、同じ下宿に居たコック上りの露西亜《ロシア》人が誘いましたので、すぐに加入の約束をしてしまったのです。そうして日本へ来るとすぐに、僕の想像を実験してみたらすっかり当っている事がわかったばかりでなく、永い間気になっていた自分の両親の名前を思いがけなく探し出す事が出来たのです」
 少年は感慨深く言葉を切った。しかし私は机に両肘を張ったまま、云うべき言葉を発見し得なかった。二三度|唾液《つば》を呑み込んでから辛うじて、
「……それは……どうして……」
 と呟いたきりであった。
 しかし少年はやはり眼を伏せたまま、淋しそうに言葉を続けた。
「……僕は日本に着いて散歩を許されるとすぐに、あのステーション・ホテルへ行って、十四号室を泊らないなりに一週間の約束で借りきってしまったのです。そうしてホテルのボーイや支配人に二年前の出来事の模様を出来るだけ詳しく話してもらいまして、あの室《へや》の寝台から室《へや》の飾り付までちっとも変っていない事を確かめてから、あの寝台の上に父が死んだ時の通りに寝てみたのです」
「どうして……」
 と私は又おなじ言葉をくり返した。
「……どうって訳はないんですけど……あの時の死状《しにかた》が、新聞に書いてある通りだと、何だか変テコでしようがなかっ
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