も経たないうちに警視庁《やくしょ》の前で飛降りた。その姿を見ると志免警部は表の階段を降りて迎えに来たが、そのあとから選《よ》りに選《よ》った強力《ごうりき》犯専門ともいうべき屈強の刑事が三名と、その上に熱海検事、古木書記までも出かける準備をして降りて来た。ちょっと眼に立たないが、近来にない目の積んだ顔揃いで、早くも事件の容易ならぬ内容を察した志免警部の機敏さがわかる。おまけにどこをどう胡麻化《ごまか》したか新聞記者が一人も居ない。これだけの顔が出かけるとなれば、すぐに新聞記者の包囲攻撃を受けなければならないのだが……と……そう気が付いてキョロキョロしている私の腕を捉えて志免警部はぐんぐん数寄屋橋の方へ引っぱって行きながら、耳へ口を寄せるようにして囁《ささや》いた。
「女を隠れ家に送り込んだ、三五八八の自動車が帰って来ましたので……」
「えっ。三五八八」
「そうです。数寄屋橋タクシーです」
「……それじゃ……先刻《さっき》のがそうだったんだ」
「発見していられたんですか最早《もう》……」
「うん。そうでもないが……相手は大勢かね」
「はい。運転手の話によると女の外に、凄い顔付《つらつき》をした支那人や朝鮮人を合わせて四五名居ると云うのです」
「新聞記者が一人も居ないのはどうしたんだ」
「貴方が日比谷公園で迎えの自動車を待ってられると聞いて皆飛んで行ったんです」
「事件の内容は知るまいな」
と云いも了《おわ》らぬうちに山勘横町《やまかんよこちょう》の角から一台の速力の早いらしい幌《ほろ》自動車が出て来て私達の前でグーッと止まった。先刻《さっき》の軍艦色のパッカードである。続いて来た一台の箱自動車は志免刑事の相図を受けて警視庁の入口の方に行った。
私達は猶予なく自動車に飛び乗った。あとから追っかけて来た三人の刑事も転がり込んだ。
志免警部は運転手に命じた。
「お前が今行った家《うち》へ……一ぱいに出して……構わないから……」
運転手はハンドルの上に乗りかかるようにうなずいたと思うと、忽《たちま》ち猛然と走り出して電車線路を宙に躍り越えた。その瞬間に私は思った。これ位軽快な車はタクシーの中《うち》にも余りあるまい。今たしかに三十五|哩《マイル》は出ている……と……その中《うち》に志免刑事が口を利き出した。
「いや。非道《ひど》い眼に会ったんです。私はタイプライターのリボンを手繰《たぐ》るのが一番早道と思いましたので、自動車で丸善から銀座を一通り調べましたが、その途中で一寸《ちょっと》電話をかけて、集まった報告を聞いて見ますと、女《ホシ》が市ケ谷の方向に消えたというのです。そこで今度は市ケ谷近くの四谷の通りから神楽坂《かぐらざか》、神田方面のタイプライター屋を当る考えで、公園前の通りを引返《ひっかえ》して来ますと、丁度今の公園前の交叉点で、この三五八八の幌とすれ違ったのです。運転手はやはりこの運転手でしたが、すれ違いざまに見ますと、乗っているのは黒い帽子を冠って藍色の洋服を着たすてきな美人なのです。私は夢中になって自転車で追っかけたのですが、やっとここ(参謀本部前)まで来た時にはもう、どこへ行ったか判らなくなってしまったのです。
私はそれから直ぐに数寄屋橋に引っ返して三五八八の車を当ってみましたら、その車はたしか一時間ばかり前に電話がかかって、麹町の方へ出て行った。しかしもう帰って来るだろう。電話の声は女で、丁寧な上品な口調だったという返事でしたので、私は直ぐにタクシーの事務所から、電話で刑事を一人呼んで張り込まして、三五八八が帰って来たら直ぐにわかるようにしておきました。運転手なんていうものは……」
自動車が突然にビックリするような警笛を鳴らした。と思う間もなく一気に濠端を突き抜けて、プロペラーのように幌を鳴らしながら三宅坂を駈け上った。後窓《アイホール》から振り返って見ると、熱海検事を乗せた自動車はまだ桜田門の前に来たばかりである。
「後の自動車《くるま》は大丈夫かね」
「はい行先を教えておきました。熱海検事はまだ犯人は決定している訳じゃない。しかしもうすこし調べておく必要があるから一緒に来ると云うんですが……」
と云いながら志免警部は鋭い眼付きで私を振り返った。しかし私は返事をしなかった。ただ顔を見覚えておくために、眼の前に坐っている運転手の顔を、反射鏡で気取《けど》られないように覗き込んだが、見れば見る程ガッシリした体格で、肩幅なぞは普通人の一倍半ぐらい有《あ》りそうに見える。しかもその顔は私の思い做《な》しか知らないが、最前帝国ホテルの前で私に「馬鹿野郎」を浴びせた獰猛な人相の男に違いないようで、その軍艦の舳《へさき》のようにニューと突き出ている顎が背後から見てもよくわかる。しかし服装は最前と丸で違って、黒い口覆
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