ていないから安心しろ。しかし、お前|一寸《ちょっと》その靴を両方とも見せてくれないか」
 こう云うとボーイはもとより室《へや》の中の一同は妙な顔をした。しかしボーイは素直に白い半靴を脱いで差出したので、私はそれを両方に提《さ》げて廊下に出たが、やがて帰って来ると、靴をボーイに返して飯村警部に代って訊問し初めた。
「お前は岩形さんを受持っていたんだろう」
「そうです」
「いくつになるね」
「十八になります」
「ハハハハ。十八にしちゃ意気地がなさ過ぎるじゃないか。お前が犯人でない事は……俺が……この狭山が保証する。その代り知っている事は何でもしっかりと返事しなければ駄目だぞ」
「ハイ……」
 とボーイはすすり上げながら頭を低《た》れた。私は一層、言葉を柔らげた。
「岩形さんが帰って来たのは昨夜《ゆうべ》の何時頃だったかね」
「……十二時半近くでした。それまで僕は……私は他のお客の相手をして玉を突いてました。そうしたら、仲間の江木がやって来て、お前の旦那は一時間ばかり前に帰って来ているんだぞ。知らないのかと申しましたから、私はすぐにキューを江木に渡して二階に駈け上りました。けれどもその時は……」
「扉《ドア》に錠が掛かっていたろう」
「そうです。それですぐに……自分の室《へや》に帰って寝てしまったんです」
 と云いながらボーイは深いふるえた溜息をした。私はそこで一つ意味ありげに首肯《うなず》いて見せた。
「あの岩形さんは、いつもそんな風にして寝てしまうのかね」
「いいえ。岩形さんはいつでもお帰りになるとすぐに私をお呼びになりますから、私はお手伝いをして、寝巻を着かえさせて、ベッドに寝かして上げるのです。どんなに酔っておいでになりましても、私に黙ってお寝《やす》みになった事は一度もありません。……貴様が女なら直ぐに女房にしてやるがなあ……なんて仰言《おっしゃ》った事もあります」
 この無邪気過ぎる言葉の不意打ちには室《へや》の中《うち》の十余名が一時に失笑させられた。隣の室《へや》にそう云った本人の屍骸が横わっているので一層滑稽に感じられたのであろう。謹厳そのもののような熱海検事までも顔を引っ釣らして我慢しかねた位であった。しかし無知なボーイは皆の笑い顔を見て安心したものか、見る見る血色を恢復して来た。そうして私の問いに任せて、岩形氏の平素《ふだん》の行状をぽかぽかと語り出
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