らと往来にさまよい出たに過ぎなかった。
ところがその最中《さなか》にも、その私の空っぽのあたまを決定的に支配し指導しつつ、絶えず重大な暗示を与え続けていた、神秘的なあるもの[#「あるもの」に傍点]があった。そのあるもの[#「あるもの」に傍点]の洞察力は透徹そのものであった。そのあるもの[#「あるもの」に傍点]の記憶は正確そのものであった。そのあるもの[#「あるもの」に傍点]の暗示は霊妙そのものであった。そのあるもの[#「あるもの」に傍点]……すなわち私の第六感はがんがらがんのふらふら状態に陥っている私の全部を支配して、いつの間にか二年|前《ぜん》に志村氏が変死したステーション・ホテルの前に行かせた。それから二年|前《ぜん》に私が履《ふ》んで来た通りの道筋を、知らず識《し》らずの中《うち》に間違いなく繰り返して辿らせて、カフェー・ユートピアまで連れて来て、その二年|前《ぜん》にたった一度しか腰をかけた事のない窓際の椅子にちゃんと腰をかけさせてその上に……志村浩太郎氏が、その死の数時間|前《ぜん》に誂《あつら》えた通りの四種の料理を、無意識の裡に註文さした。
……お前はもうじきに死刑の宣告を受けるのだぞ……。一人の美しい女から紫のハンカチを貰うのだぞ……。
……と明白に予言したではないか。
何という不可思議な作用であろう。
何という適切な暗示であろう。
もし私がこの時に、かような偉大な力の存在を知らないで、唯こうした事実だけを気付いたならば、恐らく奇蹟としか思わなかったであろう。又、もし私が信仰家であって、これだけの暗示を受けたならば、直ぐに上天の啓示と信じて、掌《て》を合わせて謝恩の祈祷を捧げたであろう。
しかし、これは上天の啓示でも何でもない。人間の持っている偉大な……忘れられた能力の作用である。
……と……こう気が付くと同時に、私は椅子を蹴って立ち上ったのであった。そうしてその一瞬間に、二年|前《ぜん》から引き続いて来たこの奇怪なJ・I・C事件に対する私の判断を、どん底から引っくり返してしまったのであった。
……私はすっかり欺されていた。ただ私の「第六感」だけが欺されなかった……
と気付いたので……。
しかも、その私がその「第六感」の暗示を基礎にして、ドンデン返しに建て直してみた事件の真相の如何に恐ろしかった事よ……。
見よ。
――事件の
前へ
次へ
全236ページ中161ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング