は云えないだろう。たとい法医学者の若林博士が、如何に動かすべからざる確証を掴んでいるにしても、又は吾輩自身がその犯人と、犯行の現状を確認しているにしても、君か、もしくは呉一郎が万一過去の記憶を回復した際に、その犯人を否定してしまえば何にもならないじゃないか。姪の浜の石切場で、私に絵巻物を見せてくれた人はこの人じゃありませんと云い張れば、それっ切りの千秋楽じゃないか。そこがこの事件の普通の犯罪事件と違うところだからね。……だから吾輩は、そんな無価値な事を饒舌《しゃべ》るのは御免だ」
 私は、われ知らず長大息させられた。自分の判断力が見る見る迷妄に陥って行くのを自覚しながら……。
「……まだ解らないかい。……それじゃ、もう一つ深刻な事実を説明してやろう。いいかね。……この事件で、是非ともその不可思議な犯人の正体を突止めなくちゃならぬ当面の責任者は、誰が何といっても法医学者たる若林だろう。仮令《たとい》、警察当局の方では、単なる呉一郎の発狂から起った事件として放棄しているにしても、精神科学応用の犯罪を研究する学者として、ここまで深入りして来た以上カンジンカナメの点を放《ほ》ったらかしたまま、
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