一緒に散り薄れて、あとにはただ眼の球《たま》だけが消え残ってシッカリと正木博士を凝視しているような……そんな気持ちの中に私の魂は、無限の時間と空間の中を、死ぬほどの高速度で駈けめぐっていた……呉一郎としての自分の過去を、もしや思い出しはしまいかと恐れ戦きつつ……自分の肺臓と心臓が、どこかわからぬ遠い処から、大浪を打たせて責めかかって来る音に耳を澄ましつつ……ワナワナブルブルと戦きふるえていた。
 けれども……その心臓と肺臓がイクラ騒ぎ立てて、喘《あえ》ぎまわっても、私の魂はどうしても、呉一郎としての過去の思い出を喚び起し得なかった。そのあいだに何遍頭の中で繰り返したか知れない、「呉一郎」という名前に対して「これが自分の名前だ」というような懐《なつ》かし味や親しみが微塵《みじん》ほども感ぜられなかった。私の過去の記憶はイクラ考え直しても、今朝《けさ》暗いうちに聞いた「ブーン」という音のところまで溯《さかのぼ》って来ると、ソレッキリ行き詰まりになって終《しま》うのであった。……私は他人が何と思おうとも……どんな証拠を見せつけられようとも、自分自身を呉一郎と認める事が出来ないのであった。
 
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