た正木博士は又も呉一郎の手を執《と》りながら、葉巻の煙を一服ユッタリと吐き出した。
「イヤ。もういいもういい。無理に君のお父さんの名前を思い出さなくともいいよ。どちらを先に思い出しても、エライ不公平なことになるわけだからね。ハハハハハハ」
 今まで異様な緊張味に囚《とら》われていた人々が一時に笑い出した。やっとの事で、もとの表情を回復していた若林博士も、変に泣きそうな、剛《こわ》ばった笑い方をした。
 その笑い顔の一つ一つを、如何にも注意深い眼付きで見まわしていた呉一郎は、やがて何やら失望したように、溜め息をしたまま伏し目になると、涙をハラハラと落した。その涙の珠《たま》は、手錠の上から、汚れた床の上に落ち散って行った。
 その手を取ったまま正木博士は、無雑作に人々の顔を見まわした。
「とにかくこの患者は私がお預りしたいと思いますが如何でしょうか。この患者の頭の中には、事件の真相に関する何等かの記憶がキット残っていると思います。只今御聞きの通り、誰の顔でも、父の顔に見えるという事は、或《あるい》はこの事件の裏面の真相を暗示している、或る重要な心理のあらわれかも知れませんからね……出来れ
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