いましたから、別に可怪気《おかしげ》ない事を仕出かして出て行ったものとも思われませぬ。
――それから後《のち》の妹のたよりは、明治四十年の暮に、東京の近くの駒沢村という処で、一郎という男の子が生れましたといって、村役場から知らせて参りましただけで御座います。その時もすぐに警察にお頼みして捜して頂きましたが、届出てあった所番地の家は、ずっと前から貸家になっておりましたものだそうで、なお、念のために私が出しておりました手紙も戻って参りましたので力を落しました。一郎が小学校へ入学致しました時の戸籍の書類《かきつけ》なぞはどうして取りましたものかわからないままに全くの音沙汰なしになっておりました。そうして私が二十三になりました年の正月に夫と別れますと間もなく、今居りますモヨ子と申します娘を一人生みましたから、それから後は娘と二人切りで暮しておりました。
――今度の事を新聞で見ました時は夢心地で馳付けて参りました。いろいろお調べを受けましたが、只今の通りお答を申上げておきました。
――初めて一郎を見ました時は思わず涙が出ました。その時に夢の事を尋ねましたのは、私の処に居ります若い者が読んで
前へ
次へ
全939ページ中495ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング