な姿になっている。だから、手足や、眼鼻が専門専門で分業になっているように、意識の方でも『脳髄』と名付くる自動式、複式、反射交感局を作って、全身三十兆の細胞同志の感覚や、意識を縦横ムジンに反射交感させつつ、全身一斉に……俺は俺だぞ……俺はこうして生きているんだぞ……という気持になっているのだ。
吾々の全身三十兆の細胞は、かようにして、流れまわっている赤血球、白血球から、固い骨や、毛髪の尖端に到るまでも、吾々が感じている意識の内容をソックリそのままの意識内容を、その一粒一粒|毎《ごと》に、同時に感じ合って、意識し合っているのだ。
眼の球《たま》ばかりで物を見る事は出来ない。耳ばかりで音は聞えない。その背後《うしろ》には必ずや、全身の細胞の判断感覚がなければならぬ。
同様に脳髄が、脳髄ばかりで物を考えたり、感じたりする事は不可能である。その背後《うしろ》には必ずや全身の細胞相互の主観、客観がなければならぬ。さもなければ人間の脳髄は、銀幕と観衆を喪失《なく》した活動写真機と同様の無意義なものになってしまうのだ。
しかも、その脳髄によって仲介された全身の意識の、反射交感作用の敏活な事とい
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