《まえこご》みになった。慌てて外套のポケットに手を突込んで、白いハンカチを掴み出して、大急ぎで顔に当てた。……と思う間もなく私の方に身体を反背《そむ》けつつ、全身をゆすり上げて、姿に似合わない小さな、弱々しい咳嗽《せき》を続けた。そうして稍《やや》暫らくしてから、やっと呼吸《いき》が落ち付くと、又、徐《おもむ》ろに私の方へ向き直って一礼した。
「……ドウモ……身体が弱う御座いますので……外套のまま失礼を……」
 それは矢張《やは》り身体に釣り合わない、女みたような声であった。しかし私は、その声を聞くと同時に何かしら安心した気持になった。この巨大な紳士が見かけに似合わない柔和な、親切な人間らしく思われて来たので、ホッと溜息をしいしい顔を上げると、その私の鼻の先へ、恭《うやうや》しく一葉の名刺を差出しながら、紳士は又も咳《せ》き入った。
「……私はコ……ホンホン……御免……ごめん下さい……」
 私はその名刺を両手で受け取りながらチョットお辞儀の真似型をした。

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