シャッポをチャンと冠《かぶ》り直して、ネクタイをチョット触ってから勝手口の扉《ドア》を押すのが紋切型になっているんだから、その前に落せば一ペンにフッ飛んでしまうかも知れないわね。そうしたら、なおの事おもしろいけど……ホホホ……」
 妾がこう云うとウルフはチョット心配そうな顔をした。室《へや》の中をジロジロと見まわしたが、鉄筋コンクリートの頑丈ずくめな構造に気が付くと、やっと安心したらしく妾の顔を見直した。真赤な唇を女のようにニッコリさせつつ、無言のまま、ウドン粉臭いパンの固まりを私のお臍《へそ》の上に乗っけた。その無産党らしい熱情の籠《こ》もった顔付き……モノスゴイ眼尻の光り……青白い指のわななき……。

 本当を云うと妾《わたし》はこの時に身体《からだ》中がズキンズキンするほど嬉しかった。約束なんかどうでもいい……こんなステキなオモチャが手に這入るなんて妾は夢にも思いがけなかった。妾はウルフに獅噛《しが》み付いて喰ってしまいたいほど嬉しかった。丸い銀の球《たま》を手玉に取って、椅子やテーブルの上をトーダンスしてまわりたくてウズウズして来た。
 けれども妾は一生懸命に我慢した。その新し
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