…その笑いかけた顔が間もなく、前よりもズッと青白く緊張して来た。審判席の草叢《くさむら》の中から、コスモスの花の中へジリジリと後退《あとしざ》りをし初めたが、その肩に手をかけて、又野と同じ方向を見ていた三好も、すこし慌て気味で中腰になった。
「オイ。いけねえいけねえ。あの中に戸塚が居やがる」
「……ウン……居る。あの奴もテニスの連中に眼を付けとるばい。……不思議だ……」
 又野が深い、長い溜息を吐いた。
「不思議どころじゃねえ。早く隠れるんだ。俺達二人が揃っているのを戸塚に見られちゃ面白くねえ。……こっちに来たまえ」
 三好と又野は慌てて草の中から立上った。二人とも何気なくバットの吸いさしを投棄てて、薄暗い汽鑵場へ引返《ひっかえ》した。ボイラーから程遠い浴場の煉瓦壁に、三ツ並んで残っている古いパイプの穴から、肩をクッ付け合わせてテニス・コートを覗いた。二人の眼の前にコスモスが眩しくチラチラして邪魔になった。
 ネットはもう張られていた。
 第一製鋼工場の副主任の中野学士と、職工の戸塚と、事務室の若い人間が三人来て軟球の乱打ちを初めていた。中野学士と戸塚が揃いの金口を啣《くわ》えていた。
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