いようになってしまった。
つまり演《や》る方では大丈夫、わからないつもりで演っているのを、見物の方で一生懸命になって筋を読み取ろうとする。寄ってたかって外題の当てっこを競争するようになったので、各工場の演物《だしもの》を秘密にしたい気持から、どこか、ほかの処で稽古をするようになったらしかった。
二
十月十日の水曜日の午前九時頃のこと。汽鑵部の夜勤を終《しま》った職工が三人、そのツンボ・コートを通抜《とおりぬ》けて来た。
中央に立って歩いて来るのは、この製鉄所切っての怪力の持主で、名前は又野末吉、綽名《あだな》をオンチという古参の火夫であった。体重百四十|斤《きん》に近い、六尺豊かの図体で、大一番の菜葉服の襟首や、袖口や、ズボンの裾から赤黒い、逞ましい筋肉が隆々とハミ出しているところは、如何にも単純な飾り気のない性格に見える。のみならず、いつもニコニコしている小さな眼の光りが、処女のように柔和なので、さながらに巨大《おおき》な赤ん坊のように見えた。
その大股にノッシノッシと歩く又野の右側から、チョコチョコと跟《つ》いて来る小柄な男は、油差しの戸塚という青年で、敏
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