所の内外はこの話で持ち切った。又野の処へ改めて話を聞きに来る者もチョイチョイ出て来たが、又野は五月蠅《うるさ》がって何も話さなかった。ほかの二人の職工を引合いに出すような事もしなかった。

       四

「なあ又野……戸塚の野郎が、何か大事な事を云い忘れているってこの間、警察署を出てから云ったなあ……暗い横町で……」
「ウン。云うとったが……それがどうかしたんかい」
「イヤ。別にどうって事はねえんだけど……」
 菜葉服の三好と又野が、テニス・コートの審判席の処に跼《しゃが》んでいた。二人の背後《うしろ》にはまだ半枯れのコスモスが一パイに咲き乱れていた。久し振り半運転にした汽鑵場裏は、物を忘れたようにシインとして、晴れ渡った青空から太陽が暑いくらい降り注いでいた。
 瘠せっぽちの三好は神経質らしく、擬《まがい》鼈甲縁《べっこうぶち》の眼鏡をかけ直して云った。
「戸塚の野郎は、俺あ赤じゃねえかと思うんだがなあ」
 逞ましい腕を組んでいた又野が血色のいい顔を不愉快そうに撫でまわした。
「どうしてかいな」
「どうしてって事もねえけど、何だかソンナ気がするんだ。第一、彼奴《あいつ》はツイこの頃就職して来やがったんだろう。それから、あんなに慣れ慣れしく俺達に近寄って来やがった癖に、あの事件から後《のち》、急に俺達と他所他所《よそよそ》しくし初めただろう。出勤《でる》にも帰宅《かえる》にも一人ポッチで、例の処へ誘っても一所に来やがらねえ。おまけにアレから後《のち》というもの、ショッチュウ何か考えているような恰好をしているじゃねえか」
「ウン。そう云うてみれあ、そげなところもあるなあ。あれから後《のち》、このテニス・コートを何度も何度もウロウロしているのを見た事がある」
「なあ。そうだろう。俺も見たんだ。だから怪しいと思ったんだ。そうしたらこの頃はチョットもここいらへ姿を見せなくなった代りに、隙《ひま》さえあれば第一工場に遊びに行きやがって、あそこのデッキ連中と心安くしているようだし、死んだ西村さんの家へ行って色々世話をしているかと思うと、事務所の連中とも交際《つきあ》うようになって、行きと帰りには毎日のように事務室に寄って行くらしい気ぶりじゃねえか」
「ウン。そらあ俺も気は附いとる。しかし何も、それじゃけに戸塚が、赤チウ証拠にゃあなるめえ」
「ウン。それあ証拠にゃあなるめえ
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