しく取付けられている煙突であった。
 ……事実……私が南堂伯爵未亡人の素行調査にアンナにまで夢中になり始めた、そのソモソモの動機というのは、アノ粗末な、赤煉瓦の煙突に外ならなかったのだ。

 大久保百人町附近の人は知っているであろう。
 昔風の鉄鋲《てつびょう》を打ち並べた堂々たる檜《ひのき》造りの南堂家の正門内には、粗末な米松《べいまつ》の貸家がゴチャゴチャと立ち並んでいて、昔のアトカタもなくなっていることを……同時にその裏手へまわってみると正反対に、同家の由緒を語るコンモリした松木立や、ナノミ、樫、椿、桜なぞの混淆林の一部が、高い黒土塀とがっちりした欅《けやき》造りの潜り門に囲まれて正門内の貸家とも、又は、附近の住宅ともかけ離れた別世界を形づくりつつ昔ながらに取残されていることを……。
 ところでその杉木立の中にポツネンと立っている南堂家の図書館というのは、五|間《けん》に四間ぐらいの二階建の鉄筋コンクリートに茶褐色のタイル張りで、上等のスレート屋根の下に緑色に塗った鉄のブラインドが並んでいる。全体が耐震耐火のルネッサンス擬《まが》いという、故伯爵の凝《こ》り性《しょう》と用心深さを遺憾なく発揮したものであった。
 ところが伯爵の死後、玄関と正反対の位置に新たに取付けられた煙突というのは、普通の赤煉瓦を真四角に積み上げたデッカイ、不恰好なものであった。理想化《リファイン》された図書館の様式《スタイル》とは全然調和しないばかりでなく、そのまわりを取囲むコンモリした杉木立の風趣までもブチコワしてしまっていた。まるでどこかの火葬場といった感じであった。
 私はズット前から、この煙突の正体を怪しんでいた。……というのは、この煙突が出来てから、一《ひ》と冬越した翌年の春になっても、煙を吐いた形跡がなかったからであった。
 この事実を初めて発見した時には流石《さすが》の私も首をひねらせられた。往来のマン中に突立ったまま暫くの間、茫然と、その煙突の絶頂の避雷針を見上げていた。その避雷針の上を横切る鱗雲《うろこぐも》を凝視していたものであった。
 しかし、わからないものはイクラ空《くう》へ考えてもわからなかった。
 図書館にはズット以前から昼間の動力線と瓦斯《ガス》が引いてあった。同時に石炭やコークスの屑が附近に散らばっていた形跡はミジンもなかったばかりでなく、そんな商人が出入りした事実も未《いま》だ曾《かつ》て発見されなかった。……にも拘わらず石炭を焚《た》く以外には必要のなさそうな赤煉瓦の煙突を、何のために取付けたものであろう。ストーブの火気抜《いきぬき》ならば立派な化粧煉瓦と対《つい》のものが、玄関に向って右手の室《へや》の壁にチャント附いている。又、普通の意味の通気筒ならばモット手軽い、品のいい、理想的のものがイクラでも在る。台所も電気と瓦斯だけで片付けているに違いないのに、何の目的でコンナ殺風景なものをオッ立てたのであろう……なぞと考えれば考える程、私は不思議でたまらなくなって来た。一度室内に忍び込んで、様子を見てやろうか……と思った事も、何度あるかわからなかった。
 ところが又、そのうちに一年も経ってその煙突に火の気《け》が通らない証拠に、何とかいう葉の大きい蔓草《つるくさ》が、根元の方からグングン這い登り始めた。その蔓草は麹町《こうじまち》区内のC国公使館の壁を包んでいるのと同じ外国種の見事なものであったが、生長が馬鹿に早いらしく、二《ふた》夏ばかり過すうちに絶頂の避雷針の処まで捲き上げてしまって、房々と垂れ下る位になった。すると又それに連れて図書館の外側の手入れが不充分になったらしく、スレート屋根の上にタンポポだのペンペン草だのがチラチラと生《は》え始めた。緑色の鉄のブラインドには赤錆《あかさび》が吹き始めた。それにつれて煙突を登り詰めた蔓草が今度は横に手を伸ばしはじめて、二年も経つうちには殆んど図書館の半分以上を包んでしまった。その上にお庭の立木にも植木屋の手が這入《はい》らなくなったらしい。枯れ枝がブラ下ったり、杉の木が傾いたりして、だんだんと廃墟じみた感じをあらわし始めた。
 今まで不調和であった煙突が、今度は正反対に建物や立木とよくうつり合って来た。一種のエキゾチックな風趣をさえあらわすようになって来た。恰《あたか》も、その主人公の心理状態のあるものを自然に象徴しているかのように……。
 そんな光景を見過して来るうちに私は、いつの間にか煙突の不思議を忘れてしまっていた。煙の出ないのが当然の事のように思い込んでしまって煙突とは全然無関係としか思えない、ほかのネタを探ることばかりに没頭していた。……思えばこれも不思議な心理作用ではあったが……。
 しかも私の頭が一旦、煙突の問題を離れると、彼女の裏面の秘密に関する私の調
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