メンな事まで知っているらしい。
しかし恐るる事はない。誘惑するつもりなら、されても構わない。要点だけは一歩も譲らないぞ……と思いながら、夜目にも荒れ果てた庭草の間を手を引かれて行くと、森蔭のジメジメした闇の道伝いに、杉木立の中の図書館の玄関から引っぱり込まれた。そうして燈火《あかり》も何もつけない短かい廊下を通り抜けると正面の真暗《まっくら》な室《へや》のマン中に立たされた。
そこで私の手を離した未亡人が、室の真中まで行って電燈の紐《ひも》をコチンと引っぱった。
私はアンマリ眩《まぶ》しいので二三度瞬《またた》きをした。……が、そのうちにこの家が、私の最初からの予想通り、名ばかりの図書館であることをたしかめた。
すくなくとも私が連れ込まれた室は、南堂伯爵が、生前に寝室にしていたものに相違なかった。そうして伯爵の死後、未亡人が秘密の享楽場としていたものに相違なかった。
ムンムンと蒸《む》れかえる瓦斯《ガス》仕掛の大暖炉の蘊気《うんき》と一緒に、早くも彼女の濃厚な化粧と、旺盛な肌の匂いが漂い初めていた。
しかし私は平気であった。入口と正反対側に在るグランド・ピアノの上に外套と帽子を置くと、黒い、薄い、婦人用の絹手袋をはめたまま、おなじように冷静な彼女と向い合って椅子に就いた。
二人は手軽く頭を下げ合って初対面の挨拶をすると同時に、申し合わせたようにスピードアップした会話を、剃刀《かみそり》で切ったように交換し初めた。お互いに双方の顔色の動きに関心し合いながら……。
「お電話ありがとう御座いました。……ほんとにお手数をかけまして済みませんでした。お手紙はお返しいたします」
「……ハ……たしかに……」
「……で……あの新聞の原稿は、お持ちになりまして……」
「相済みません。原稿と申しましたのは嘘です。実は僕のアタマの中に在るんです。原稿にして差上げたって同じ事だと思いましたから……」
「……まあ……では、あの以外にまだ御存じなのですか」
「この間、本国へ帰任したC国公使と貴方《あなた》との御関係以外にですか」
「ええ」
「そう余計にも存じませんがね。大変に失礼ですけど、故伯爵とお別れになった後《のち》の貴女《あなた》は、非常に皮肉な御生活をお始めになったようですね。婦人正風会長になって日本中の婦人の憧憬を、御一身にお集めになる一面には、あらゆる方法であらゆる紳
前へ
次へ
全16ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング