けむりを吐かぬ煙突
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蜘蛛《くも》の巣
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)百|燭光《しょっこう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)裸のままの[#「裸のままの」は底本では「裸のままので」]
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外はスゴイ月夜であった。玄関の正反対側から突出ている煙突の上で月がグングンと西に流れていた。
庭の木立の間の暗いジメジメした土の上を手探りで歩いて行くうちにビッショリと汗をかいた。蜘蛛《くも》の巣が二三度顔にまつわり付いたのには文字通り閉口した。道を間違えたらしかったが、それでも裏門に出ることは出た。
潜戸《くぐりど》から首だけ出した。誰も居ない深夜の大久保の裏通りを見まわした。今一度、黒い煙突の影を振返ると急ぎ足で横町に外《そ》れた。
東京市内の地理と警察網に精通している新聞記者の私であった。誰にも発見されずに深夜の大久保を抜け出して、新宿の遊廓街に出るのは造作ない事であった。
そこで私はグデングデンに酔っ払ったふりをしながら朦朧《もうろう》タクシーを拾い直して来て、駿河台《するがだい》の坂を徒歩《かち》で上って、午前四時キッカリにお茶の水のグリン・アパートに帰り着いた。
このアパートは最新式の設備で、贅沢な暖房装置がある。出入りはむろん自由になっていた。それでも私は細心の注意をして、音を立ないように三階の一番奥の自分の室《へや》に忍び込んで、内部からソッと錠《じょう》を卸《おろ》した。
室の中央のデスクには受話機を外した卓上電話器と、昨夜の十一時近くまで書いていた日曜附録の原稿が散らばっていた。点《つ》けっ放《ぱな》しの百|燭光《しょっこう》に照らされたインキの文字がまだ青々していた。その原稿の上に、内ポケットから取出した裸のままの[#「裸のままの」は底本では「裸のままので」]千円の札束を投げ出した。それから素裸体《すっぱだか》になって、外套や服はもとより、ワイシャツから猿股《さるまた》まで検査した。どこにも異状のないことをたしかめてから、モトの通りに着直した。少々寒かった。
寝台の脚にかけたフランネルの布《きれ》で靴を磨き上げた。自動車のマットで念入りに、拭い上げておいたものではあったが……。
室の隅の洗面器で音を立てないように手を
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