タレエッて云っていたよ」
 というような事実が、その夕方、沖から帰って来た村中の男達に、大袈裟な口調で報告された。それを聞いた男たちは皆眼を瞠《みは》った。
「ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド別嬪《べっぴん》さんじゃろ」
「いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……」
「あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん」
「あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも可笑《おか》しいと思うてナア」
「お妾さんチウもんかも知れんテヤ」
「ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ」
「……どうしてナ……」
「……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか」
 そんな事を云い合ってドッと笑いこけながら、海岸に咲き並ぶ月見草を押しわけて帰る連中もあった。

 そのあくる日のやはり夕方近くの事……本物の若い奥さんは、若大将と一緒に自動車で別荘に乗りつけた。そうして着物を着かえると直《す》ぐに、夫婦づれで海岸から村の中を散歩してまわった。
 奥さんは村の者の予期に反して別嬪でも何でもなかった。赤い毒々しい色の日傘の中に一パイになるくらい大きなハイカラ髪に結って、派手な浴衣《ゆかた》に紫色の博多帯をグルグルと捲き附けたまま、反《そ》り身《み》になって村中を歩いて行った。青白く痩せこけた上にコテコテとお化粧をした……鼻の頭がツンと上を向いた……眼の球のギョロギョロと大きい……年はいくつかわからない西洋人のようにヒョロ長い女であった。又、若大将の方は三十前後であろうか、奥さんよりもズット背の低いデブデブの小男であった。派手な格子縞《こうしじま》の浴衣に兵児帯《へこおび》を捲きつけて、麦稈帽《むぎわらぼう》を阿弥陀《あみだ》にしながら、細いステッキを振り振りチョコチョコと奥さんの尻を逐《お》うて行くところは、如何にも好人物らしかった。中には奥さんのお伴《とも》をしに来た書生さんと思った者もあるらしかったが、その二人が広くもない村の中を一通りあるきまわると、夕あかりの残った網干場を別荘の方へ通り抜ける時に、こんな話をした。
「ねえあなた。いい景色じゃないの……明日《あした》は早く起きてモーターボートで島めぐりをしてみない」
「……ウウン……凪《な》いでいたら行ってみよう」
「……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽に晒《さら》されて、豚小屋みたいな処に寝ころんで……」
「ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない」
「男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ」
「ハハハハ、ゴリラかハハハ」
「ホホホホヒヒヒヒヒ」
 すると、ちょうど網干場のまん中の渋小屋《しぶごや》(網に渋を染める小屋)の蔭で遊んでいた子守女《こもり》が二三人、鳴りを鎮《しず》めて二人の会話に耳を傾けていたのであったが、こうした言葉をきくと流石《さすが》に憤慨したものと見えて、子供を背負《しょ》い上げながら大急ぎで村へ帰って来た。そうして村の連中が夏祭りの相談をしながら、一杯飲んでいる処へやって来て、口々に忠実めかして報告した。
 只さえ気の荒い外海《そとうみ》育ちの上に、もういい加減酔払っていた若い連中は、これを聞くと一時に殺気立ってしまった。中にも赤褌《あかふんどし》一貫《いっかん》で、腕へ桃の刺青《いれずみ》をした村一番の逞ましいのが、真先に上《あが》り框《かまち》に立って来て呶鳴《どな》った。
「……何コン畜生……ごりら[#「ごりら」に傍点]タア何の事だ……」
「……知らんがナ……」
 と子守女《こもり》たちは見幕に恐れて後退《あとじさ》りをした。
「……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……」
「何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ」
「第一この村の地内《じない》に家《うち》を建てながら、まだ挨拶にも失《う》せおらんじゃないか」
「……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる」
「……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ」
 と云ううちに四五人バラバラと立ちかけた。その時であった。
「……マア待て待て……待て云うたら……」
 シャガレた声で上座《かみざ》から、こう叫んだ向う鉢巻の禿頭《はげあたま》は、悠々と杯を置いて手をあげると、真っ先きに立った桃の刺青を制し止めた。
「何だいトッツァン……又止めるんか」
「ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……」
「フーン……そんなら聞こう」
 と桃の刺青が引返して坐った。ほかの連中もドタドタと自分の盃の前に尻を据えた。
「……ドンナ考えかえ……トッツァン……」
「考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……」
 禿頭はニヤニヤ笑いながら桃の刺青の耳に口を寄せた。子守女《こもり》たちに聞こえぬようにささやいた。
「……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんと吐《ぬ》かしおったら構う事アない。あの座敷にお獅子様を担ぎ込むんよ。例の魚血《なまぐさ》を手足に塗りこくって暴れ込むんよ……久し振りにナ……」
「……ウム……ナルホド……ウーム……」
「……ナ……高が守《もり》ッ子《こ》の云う事を聞いて、云いがかりをつけるよりも、その方が洒落《しゃれ》とらせんかい」
「ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチ毀《こわ》してくれよう」
「シイッ。聞こえるでないか……外へ……」
「ウン。……第一あの嬶《かか》あ面《づら》が俺ア気に喰わん。鼻ッペシを天つう向けやがって……」
「アハハハハ。あんなヒョロッコイ嬶《かか》が何じゃい。俺に抱かして見ろ。一ト晩でヘシ折って見せるがナ」
「イヨーッ豪《えら》いゾッ。トッツァン。そこで一杯行こうぜ……アハハハハハハ」
「ワハハハハハ」
 そんな事でその時は済んだが、サテそのあくる日の正午近い頃であった。

 七ツと六ツぐらいの村の子供が二人連れで、素裸《すはだか》のまま、浜へテングサ[#「テングサ」に傍点]を拾いに来ていたが、いい加減に拾って帰りがけに、炎天の下の焼け砂の上を、開け放された別荘の裏木戸の前まで来ると、キョロキョロと中をのぞきながら、赤煉瓦塀《あかれんがべい》の中へ這入り込んだ……、家中《うちじゅう》の者がモーターボートで島巡りに出て行くところを今朝《けさ》から見ていたので……そうして縁側の小松の蔭に吊してある、赤い鳥の籠に近付きながら恐る恐るのぞきこんだ。
 その顔を見ると人なつこいらしい赤い鳥は、突然頭を下げて叫び出した。
「モシモシ。モシモシイ。コンチワ……コンチワコンチワ……」
 二人の子供はビックリして砂だらけの顔を見合わせた。
 それを見ると赤い鳥はイヨイヨ得意になったらしく、一心に子供の顔を見下しながら、低い声で歌を唄い出した。
「……ジャン、チェーコン、リウコン……コンリウ、コンジャン、チェーコンチェー……チェーリウコンコンジャンコンチェー……じゃんすいじゃんすい、ほうすいほう……すいすいじゃんすい、ほうすいほう……」
 子供は又も黒い顔を見合わせた。
「何て云いよるのじゃろか」
「……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ」
 という声が不意に背後《うしろ》の方から聞こえたので、二人は又もビックリして振り向いた。見るとそれはこの別荘の若大将夫婦で、たった今ボート乗りから帰って来たものらしく、二人とも眩《まぶ》しいほど白い洋服を着て、濡れ草履《ぞうり》を穿《は》いて、ニコニコしながら突立っていた。
 二人の子供はホッと安心したように溜め息を吐《つ》いた。そうして又も不思議そうに赤い鳥の方を振りかえった。
「……エー皆さん……エー皆さん……私は……私は……すなわち……すなわち……」
 と赤い鳥は又別の事を云い出した。それにつれて奥さんは、日の照りかかる小鼻に皺《しわ》を寄せながら笑い出した。
「ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……」
「……ちがう……」
 と大きい方の児《こ》が眼をパチパチさせながら云い放った。イクラカ憤慨したらしく黒い頬を染めながら……しかし若い奥さんは凹《へこ》まなかった。イヨイヨ面白そうに金歯を出して笑った。
「イイエ……よく聞いて御覧……ホーラ……ネ……バカタレーッ……バカタレーッ……てね……ね……ホッホッホッホッ」
 この笑い声を聞くと赤い鳥は、一寸《ちょっと》頭を傾けているようであったが、忽《たちま》ち思い出したようにパタパタと羽ばたきをした。籠の格子に掴まって、子供の顔を睨み下しながら、一際《ひときわ》高く叫び出した。
「……バカタレーッ……バカタレーッ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエーッ……」
 そう云う赤い鳥の顔を、眼をまん丸にして見上げていた大きい方の児が、みるみる渋面を作り出した。眼に涙を一パイ溜めたと思うと、口惜しそうにワーッと泣き出して、テングサの束を投げ出したまま裏木戸の方へ駈け出した。小さい方の児もテングサの雫《しずく》を引きずり引きずりあとから跟《つ》いて出て行った。笑いころげる夫婦の声をあとに残して……。

 大きい方の児は、すぐに網干場に駈け込んで、そこに突立っている赤褌の、桃の刺青をした男に縋《すが》り付いた。そうして一層泣き声を高めながら別荘の方を指《ゆびさ》して、切れ切れに訴えはじめた。
 桃の刺青はウンウンうなずきながら聞いていたが、そのうちに二三度鉢巻を締め直した。青筋を立てて怒鳴った。
「……エエわからん……まっとハッキリ云え……ナニイ……あの別荘の奴等がか……ウンウン……あの赤い鳥にバカタレと云わせたんか……ウンウン……それに違いないナ」
 横に立っていた小さい児も、指を啣《くわ》えたまま、大きい児と一緒にうなずいた。
「……ヨシッ……わかった……泣くな泣くな……畜生めら……そんな了簡《りょうけん》で、あの赤い鳥を連れて来腐《きくさ》ったんだナ……ヨシッ……二人とも一緒に来い……」
 と云うより早く網を押しわけて別荘の方へ駈け出した。
 しかし裏口から赤煉瓦の中へ這入ってみると、別荘の中はガランとしていて、人の気はいもなかった。ただ表の植込みから蝉《せみ》の声が降るように聞こえて来るばかりなので、桃の刺青はチョッと張り合いが抜けた体《てい》であったが、そのうちに小松の蔭に吊してある、青塗りに金縁《きんぶち》の籠を見付けると、又急に元気附いた。
「コン畜生……ひねり殺してくれる」
 と独言《ひとりごと》を云い云い籠の口を開けて、黒光りに光る手首をグッと突込んだ。
 赤い鳥は驚いた。バタバタと羽根を散らして上の方へ飛び退《の》いたが、なおも真黒い手が掴みかかって来るのを見ると、その手の甲へ勇敢に逆襲して、死に物狂いに喰い附いた。
「アッ……テテッ……テテェテテェテテェッ……」
 桃の刺青も一生懸命になった。深く刺さった鈎型《かぎがた》の嘴《くちばし》を一気に引き離すと、黒血のしたたる手首を無我夢中にふりまわしたが、そのはずみに籠の底が脱けてバッタリ落ちたので、赤い鳥は得たりとばかり外へ飛び出して、見る見るうちに遠い松原の中に逃げ込んでしまった。

「……君は一体何をするんだ……」
 鳥のあとを逐《お》うて二三歩馳け出したまま、ボンヤリと焼け砂の上に突立っていた桃の刺青は、突然にうしろから怒鳴り付けられたのでビックリして振り返った。見ると浴衣がけの若大将が湯上りの身体《からだ》をテラテラ光らせながら、小さな眼を光らして縁側に突立っていた。そのうしろから寝巻をしどけなく着た奥さんが、咽喉《のど》をピクピクさして泣きじゃくりながら、帯を捲き付け捲き付け出て来る模様であった。
「……二百円もする鳥を何で逃がした……うちの家内が吾《わ》が児《こ》のようにしていたものを……」
 若奥さんは帯を半分捲き付けたままベタリと縁側に坐った。ワーッ……
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