。つまりその、堕胎《おろ》された孩児《ややこ》というのは、取りも直さずお前の兄さんで、お前の代りに家倉《いえくら》を貰う身柄であったのを、闇から闇に落されたわけで、多分この事はお前の両親も知っていたろうと思われる証拠には……ソレ……その孩児《ややこ》を埋めた土の上がわざっと薪《たきぎ》置場にしてあったじゃろう。けれども、その兄貴の怨みはきょうまでも消えず、お前の家の跡を絶やすつもりで、お前の女房に祟っているのでナ……出て来たものを丁寧に祭れと云うたのはここの事ジャ……エーカナ。本当を云うと、これはお前の母親の過失《あやまち》で、お前や、お前の女房が祟られる筋合いの無いのじゃが、そこが人間凡夫の浅ましさでナ……」
という風に和尚は、引き続いて長々とした説教を始めた。
文作は青くなったり、赤くなったりして、首肯《うなずき》首肯《うなずき》聞いていたが、そのうちに立っても居てもいられぬようにソワソワし始めた。和尚の志の茶づけを二三杯、大急ぎで掻き込むとそのまま、霜|解《ど》けの道を走って帰った。
ところが帰って来て見ると、文作が心配していた以上の大騒ぎになっていた。
文作が昨日のうちに、軒下から孩児《ややこ》の骨を掘り出したまま、どこかへ逃げてしまっている。女房はそれを聞くと一ペンに血が上がって、医師《せんせい》が間に合わぬうちに歯を喰い締めて息を引き取った……というので文作の家《うち》の中には、村の女房達がワイワイと詰めかけている。家《うち》の外には老人や青年が真黒に集まって、泥だらけの白骨を中心に、大評議をしている……というわけで……そこへ文作が帰って来たのであったが、女房の死骸を一眼見ると、文作は青い顔をしたまま物をも云わず外へ飛び出して、村の人々を押しわけて、白骨の置いてある土盛りの処へ来た。ジイッと泥だらけの白骨を見ていたがイキナリその上に突伏して、
「兄貴……ヒドイ事をしてくれたなア……」
と大声をあげて泣き出した。
人々は文作が発狂したのかと思った。けれども、そのうちに、駐在所の旦那や区長さんが来て、顔中泥だらけにして泣いている文作を引きずり起こすと、文作は土の上に坐ったまま、シャクリ上げシャクリ上げして一伍一什《いちぶしじゅう》を話し出した。
聞いていた人々は皆眼を丸くして呆《あき》れた。顔を見交して震え上った。うしろから取り巻いて耳を立てていた女たちの中《うち》には、気持ちがわるくなったと云って水を飲みに行ったものもあった。
それから間もなく件《くだん》の白骨は、キレイに洗い浄められて、古綿を詰めたボールの菓子箱に納まって、文作の家《うち》の仏壇に、女房の位牌《いはい》と並べて飾られた。評判に釣られて見に来る人が多いので、文作の女房の葬式は近頃にない大勢の見送りであった。
ところが事件はこれで済まなかった。どうも話がおかしいというので、駐在所の旦那が色々と取調べたあげく、一週間ばかりしてから郡の医師会長の学士さんに来てもらって、件《くだん》の白骨を見てもらうと、犬の骨に間違いない……という鑑定だったので又も大評判になった。その結果、あくまでも人間の胎児の骨だと云い張った足萎《あしな》え和尚は、拘留処分を受けることになったが、しかし村の者の大部分は学士さんの鑑定を信じなかった。文作の話をどこまでも本当にして、云い伝え聞き伝えしたので、足萎え和尚を信仰するものが、前よりもズッと殖《ふ》えるようになった。
文作もその後久しく独身でいるが、誰も恐ろしがって嫁に来るものが無い。
X光線
電車会社の大きなベースボールグラウンドが、村外《むらはず》れの松原を切り開いて出来た。その開場式を兼ねた第一回の野球試合の入場券が村中に配られた。おまけにその救護班の主任が、その村の村医で、郡医師会の中《うち》でも一番古参の人格者と呼ばれている、松浦先生に当ったというので、村中の評判は大したものであった。本物のベースボールというものは、戦争みたように恐ろしいもので時々|怪我《けが》人が出来る。救護班というのは、その怪我人を介抱する赤十字みたようなものだ……なぞと真顔になって説明するものさえあった。
当の本人の松浦先生も、むろんステキに意気込んでいた。当日の朝になると、まだ暗いうちに一帳羅《いっちょうら》のフロックコートを着て、金鎖《きんぐさり》を胸高《むなだか》にかけて、玄関口に寄せかけた新調の自転車をながめながら、ニコニコ然と朝飯の膳に坐ったが、奥さんの心づくしの鯛《たい》の潮煮《うしおに》を美味《うま》そうに突ついているうちに、フト、二三度眼を白黒さした。それから汁椀をソッと置いて、大きな飯の固まりを二ツ三ツ、頬張っては呑み込み呑み込みしたと思うと、真青になってガラリと箸《はし》を投げ出してしまった。奥さんが仔細《わけ》を尋ねる間《ま》もなく立ち上って、帽子を冠って、新しい靴下の上から、古い庭穿《にわば》きを突かけると、自転車に跨《またが》りながらドンドン都の方へ走り出した。
一時間ばかり走って、やっと都の中央の、目貫《めぬ》きの処に開業している、遠藤という耳鼻咽喉科病院の玄関に乗りつけた松浦先生は、滝のように流るる汗を拭き拭き、通りかかった看護婦に名刺を出して診察を頼んだ。
「鯛の骨が咽喉《のど》へかかりましたので……どうかすぐに先生へ……」
間もなく真暗な室《へや》に通された松浦先生は、白い診察服を着けた堂々たる遠藤博士と、さし向いに坐りながら、禿頭《はげあたま》をペコペコ下げて汗を拭き続けた。
「そんな訳で、気が急《せ》いておりましたせいか、ここの処に鯛の骨が刺さりまして、痛くてたまりませんので……実は先年、講習会へ参りました時に、先生のお話を承りまして……ある老人が食道に刺さった鯛の骨を放任しておいたら、その骨が肉の中をめぐりめぐって、心臓に突き刺さったために死亡した……という、あのお話を思い出しましたので……」
「ハハハハハ……イヤ。あの話ですか」
と遠藤博士は、肥った身体《からだ》を反《そ》り気味にして苦笑した。
「あんな例は、滅多にありませんので……さほど御心配には及ぶまいと思いますが」
「ハイ……でも……実は、忰《せがれ》が、来年大学を卒業致しますので、それまでに万一《もしも》の事がありましては申訳ありませんから、念のために是非一ツ……」
「イヤ……御尤《ごもっと》もで……」
と遠藤博士は苦笑しいしい金ぶち眼鏡をかけ直して、ピカピカ光る凹面鏡《おうめんきょう》を取り上げた。松浦先生の口をあけさせて、とりあえず喉頭鏡を突込んでみたが、そこいらに骨は見当らなかった。けれども痛いのは相変らず痛いというので、それでは食道鏡を入れてみようという事になった。
松浦先生は食道鏡というものを初めて見たらしかったが、奇妙な恐ろしい恰好の椅子に坐らせられて、二名の看護婦に両手を押えられたまま食道鏡の筒をさしつけられると、フト又青い顔になって遠藤博士を見上げた。
「これが……胃袋を突き通した器械で……」
と云いかけて口籠もった。遠藤博士は噴《ふ》き出した。
「アハハハハハ、あの話を御記憶でしたか。あれはソノ何ですよ。あれは西洋で初めて食道鏡を使った時の失敗談で、手先の器用な日本人だったら、あんなヘマな事をする気遣《きづか》いはありませんよ。サア、御心配なく口を開いて……もっと上を向いて……そうそう……」
食道鏡が突き込まれると、松浦先生は天井を仰いだまま、開口器を噛み砕くかと思うほど苦悶し初めた。大粒の涙をポトポト落しながら、青くなり、又赤くなったが、そんなにして残りなく調べてもらっても、骨らしいものはどこにも見つからなかった。
しかし、それでも唾を飲み込んでみると、痛いのは相変らず痛いというので、思い切って今一度|診《み》てもらいたいと云い出した。遠藤博士も苦笑しいしい、今一度食道鏡を突込んだ。
こうして、三度までくり返したけれども、骨は依然として見付からない。しかし痛い処はやはり痛いというので、流石《さすが》の遠藤博士も持て余したらしく、懇意なX光線の専門家に紹介してやるから、そこで探してもらったらよかろう……と云って名刺を一枚渡した。
X光線によって照し出された鯛の骨の在所《ありか》を、正面と、横からと、二枚の図に写してもらった松浦先生は、又も遠藤博士の処に引返して来たが、博士はたった今急患を往診に出かけたというので、今度は町外れに在る大学の耳鼻科に駈け込んだ。
そこには若い医員が一パイに並んで診察をしていたが、その中の一人が、松浦先生の話をきくと、X光線の図には一瞥《いちべつ》だも与えないで冷笑した。
「……馬鹿な……そんな小さな骨がX光線《レントゲン》に感じた例はまだ聞きません。こちらへお出でなさい。とにかく診《み》てあげますから」
といううちに松浦先生を別室に連れて行って、又も奇妙な、恐ろしい形の椅子に腰をかけさせた。しかしその時には松浦先生の食道が、一面に腫《は》れ爛《ただ》れて、食道鏡が一寸|触《さわ》っても悲鳴をあげる位になっていたので、若い医員はスコポラミンの注射をしてから食道鏡を入れた。
けれども、ここで又三回ほど食道鏡を出したり入れたりされているうちに、松浦先生はもうフラフラになってしまった。
「もう結構です。骨が取れましたせいか、痛みがわからなくなりましたようで……その代り何だか眼がまわりますようで……」
「それじゃ、このベッドの上で暫く休んでからお帰りなさい。注射が利いているうちは眼がまわりますから」
と云い棄てて、若い医員は立ち去った。
松浦先生は……しかしベースボールの方が気にかかっていたかして、そのまま自転車に乗って大学を出たらしかった。そうして途中で注射がホントウに利き出して、眼が眩《くら》んだものらしく、国道沿いの海岸の高い崖の上から、自転車もろともころげ落ちて死んでいるのが、間もなく通りかかりの者に発見された。
その右の手には、X光線の図を二枚とも、固く握り締めていたという。
赤い鳥
村外れの網干場《あみほしば》に近い松原を二三百坪切り開いて大きな別荘風の家が建った。海岸の岩の上には見事なモーターボートを納めた倉庫まで出来た。そうして村一番のオシャベリで、嫌われ者のお吉という婆さんが雇われて、留守番をする事になった。それまでの噂や、その婆さんの話を綜合すると、その別荘を建てた人は有名な相場師であるが、その若大将の奥さんが身体《からだ》が弱いので、時々保養に来るために、わざわざ建てたものだという事である。
村の者は皆その贅沢さに眼を丸くした。誰もかれもその若大将の奥さんを見たがった。
「この界隈で家を建てて、棟上げの祝いを配らずに済ます家は、あの別荘だけじゃろ」
などと蔭口を利くものもあった。しかしその別荘は出来上ってから三箇月ばかりというもの閉め切ったまんまで、若い奥さんは影も形も見せなかった。
ところが真夏の八月に入った或る日の事、鯛網引《たいあみひ》きの留守で、村中が午睡《ひるね》をしている正午下《ひるさが》り時分に、ケタタマシイ自動車の音が二三台、地響《じひびき》を打たして別荘の方へ走って行った。何しろ道幅が狭いので、家|毎《ごと》にユラユラと震動して、子供なぞは悲鳴をあげながら怯《おび》えた位であった。眼を醒《さ》ました女房達の中には、火の付くように泣く子供を背中に掴み上げて、別荘の方へ駈け出した者もあったが、そんな連中はすぐあとから来た四五台の自動車に追っ払われて、逃げ迷わなければならなかった。
「別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ」
「女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ」
「六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、後《あと》には若い女中二人と、お吉婆さんと、青い綺麗な籠に這入った赤い鳥が一羽残っているんだよ」
「その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿
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