て、亜鉛《トタン》張りの家《うち》に這入ったが、母親はまだ睡っていたらしく、二人とも直ぐに外へ出て来た。
それから西村さんは直ぐに帰ろうとして自動車の方へ行きかけたけれども、ハイカラサンが無理やりに引き止めた。そうして自動車の中から赤い毛布を一枚と、美味《うま》そうなものを一パイ詰めた籠を出して、雑木林の中の空地に敷き並べると、部落に残っている片輪《かたわ》連中を五六人呼び集めて、奇妙キテレツな酒宴《さかもり》を初めた。
まず、最初は三々九度の真似事らしく、顔を真赤にして羞恥《はにか》んでいる西村さんと、キャアキャア笑っているハイカラ美人《さん》が、呆気《あっけ》に取られている片輪たちの前で、赤い盃を遣ったり取ったり、押し戴いたりしていたが、間もなく外《ほか》の連中も、白い盃や茶呑茶碗でガブガブとお酒を呑み初めた。その御馳走の中には、ネジパンや、西洋のお酒らしい細長い瓶や、ネープル蜜柑などがあったが、その他は誰一人見たことも聞いたこともない鑵詰《かんづめ》みたようなものばかりを、寄ってたかってお美味《いし》そうにパクついていた。
西村さんもハイカラ美人《さん》にお酌をされて恥かしそうに飲んでいたが、その中《うち》にハイカラ美人《さん》はスッカリ酔っ払ってしまったらしく、毛布の上に立ち上って何かしらペラペラと、演説みたような事を饒舌《しゃべ》り初めた。それから赤い湯もじをお臍の上までマクリ上げると、大きな真白いお尻を振り立てて、妙テケレンな踊りをおどり出した。それを片輪連中が手をたたいて賞めていた……。
……までは、よっぽど面白かったが、間もなく横のトタン葺《ぶ》きの小舎から、幽霊のように痩せ細った西村さんのお母さんが、白い湯もじ一貫のまま、ヒョロヒョロと出て来た姿を見ると、みんな震え上がってしまった。
青白い糸のような身体《からだ》に、髪毛《かみのけ》をバラバラとふり乱して、眼の玉を真白に剥《む》き出して、歯をギリギリと噛んで、まるで般若《はんにゃ》のようにスゴイ顔つきであったが、慌てて抱き止めようとする西村さんを突き飛ばすと、踊りを止めてボンヤリ突立っているハイカラ美人《さん》に、ヨロヨロとよろめきかかった。そのままシッカリと抱き付いて、眼の玉をギョロギョロさせながら、口を耳までアーンと開《あ》いて喰い付こうとした。それを西村さんが一生懸命に引き離して、ハイカラ美人《さん》の手を取りながら、自動車に乗ってドンドン逃げて行った。あとにはお母《っか》さんが片息になって倒れているのを、皆《みんな》で介抱しているようであったが、離れた処から見ていた上に、言葉が普通《あたりまえ》と違っているので、どんな経緯《いきさつ》なのかサッパリわからなかった……という子守女《こもり》たちの報告であった。
「フーン。それは、わかり切っとるじゃないか」
と、聞いていた荒物屋の隠居は、新聞片手に子守女《こもり》たちを見まわした。
「西村さんのお母《っか》さんが、そんな女は嫁にすることはならんと云うて、止めたまでの事じゃがナ」
子守女《こもり》たちは、みんな妙な顔をした。何だかわかったような、わからぬようなアンバイで、張り合い抜けがしたように、荒物屋の店先から散って行った。
ところが又、その翌る日の正午《ひる》頃になると、村の駐在巡査と、部長さんらしい金モールを巻いた人を先に立てて、村の村医《せんせい》と腰にピストルをつけた憲兵との四人が、めいめいに自転車のベルの音をケタタマシク立てながら村を通り抜けて、川上の方へ行ったので、通り筋の者は皆、何事かと思って、表へ飛び出して見送った。その中から一人行き、二人駈け出しして行ったので、川上の部落のまわりは黒山のような人だかりになったが、そんな連中が帰って来てからの話によると、事件というのは西村のお母《っか》さんが昨夜《ゆうべ》のうちに首を縊《くく》ったので、昨日《きのう》のハイカラ美人《さん》が殺したのじゃないかと、疑いがかかっているらしい……というのであった。
しかし、それにしても様子がおかしいというので、評議が区々《まちまち》になっていたが、あくる朝を待ちかねて人々が、荒物屋に集まってみると、果して、事件の真相が詳しく新聞に出ていた。「模範兵士の化けの皮」という大きな標題《みだし》で……
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……西村二等卒の性行を調査の結果、表面温順に見える一種の白痴で、且《か》つ、甚だしい変態性慾の耽溺者であることがわかった。すなわち、その母親として仕えていたのは、実は子供の時から可愛がられていた情婦に過ぎないのであったが、最近に至って有名な箱師《はこし》のお玉という、これも変態的な素質を持った毒婦が、模範兵士の新聞記事を見て、大胆にも原籍本名を明記した封筒に、長々しい感激の手紙と、五拾円也の為替を入れて聯隊長宛に送って来た。これを本紙の記事によって知った警察当局では、極秘裡に彼女の所在を厳探中《げんたんちゅう》であったが、あくまでも大胆不敵なお玉は、その中を潜って西村と関係を結んだらしく、すっかり西村を丸め込んでしまった揚句《あげく》、二人で自動車に同乗して、贋《にせ》の母親を嘲弄《ちょうろう》しに行ったのが一昨日曜の午前中の事であったという。ところが西村はそのまま、隊へは帰らずに、駅前の旅館で服装を改めて、お玉と一緒に逃亡した模様である。一方に西村の贋《にせ》母親は、憤慨の余り縊死《いし》していることが昨朝に至って発見されたので、早速係官が出張して取調《とりしらべ》の結果、他殺の疑いは無いことになった。しかし、同時に、附近の乞食連中の言に依って、この種の変態的関係は、彼等仲間の通有的茶飯事で、決して珍らしい事ではないと判明したので、係官も苦笑に堪えず……云々……。
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「……ところでこの、ヘンタイ、セイヨクの、何とかチウのは、何じゃろか……」
「おらにもわからんがナ」
と荒物屋の隠居は、大勢に取り巻かれながら、投げ出すように云った。
「近頃の新聞はチットでも訳のわからんことがあると、すぐに、ヘンタイ何とかチウて書きおるでナ。おらが思うに西村さんは、やっぱり親孝行者じゃったのよ。それが性《しょう》の悪い女に欺《だま》されて、大病人の母親を見すてたので、義理も恩もしらぬ近所隣りの乞食めらが、あとの世話を面倒がって、何とかかとかケチをつけて、無理往生に首を縊らせたのじゃないかと思うがナ……ドウジャエ……」
皆一時にシンとなった。
兄貴の骨
「お前の家の、一番西に当る軒先から、三尺離れた処を、誰にも知らせぬようにして掘って見よ。何尺下かわからぬが、石が一個《ひとつ》埋《うず》もっている筈じゃ。その石を大切に祭れば、お前の女房の血の道は一《ひ》と月経たぬうちに癒る。一年のうちには子供も出来る。二人ともまだ若いのじゃから……エーカナ……」
「ヘーッ」
と若い文作はひれ伏した。その向うには何でも適中《あた》るという評判の足|萎《な》え和尚《おしょう》さんが、丸々と肥った身体《からだ》に、浴衣がけの大胡座《おおあぐら》で筮竹《ぜいちく》を斜《しゃ》に構えて、大きな眼玉を剥《む》いていた。
その座布団の前に文作は、五十銭玉を一つ入れた状袋を、恐る恐る差し出して又ひれ伏した。するとその頭の上から、和尚の胴間声《どうまごえ》が雷のように響いて来た。
「しかし、早うせんと、病人の生命《いのち》が無いぞ……」
「ヘーッ……」
と文作は今一度畳の上に額をすりつけると、フラフラになったような気もちで方丈《ほうじょう》を出た。途中で寒さ凌《しの》ぎに一パイ飲んで、夕方になって、やっと自宅《うち》へ帰りついた文作は着のみ着のまま、物も云わずに、蒲団を冠って寝てしまった。難産のあとの血の道で、お医者に見放されてブラブラしている女房が心配して、どうしたのかと、いろいろに聞いても返事もせずにグーグー鼾《いびき》をかいていたが、やがて夜中過ぎになると文作は、女房の寝息を窺いながらソーッと起き上って、裏口から、西側の軒下にまわった。そこに積んであった薪を片づけて、分捕りスコップ(日露戦役戦利|払下品《はらいさげひん》)を取り上げると、氷のような満月の光を便りに、物音を忍ばせてセッセと掘り初めたが、鍬《くわ》と違って骨が折れるばかりでなく、土が馬鹿に固くて、三尺ばかり掘り下げるうちに二の腕がシビレて来たので、文作はホッと一息して腰を伸ばした。
するとその時に、今まで気がつかなかったが、最初に掘り返した下積みの土の端っこに、何やら白いものが二ツ三ツコロコロと混っているのが見えた。文作はそれを、何の気もなく月あかりに抓《つま》み出しながら、泥を払い落してみると、それは魚よりすこし大きい位の背骨の一部だったので、文作は身体《からだ》中の血が一時に凍ったようにドキンとした。ワナワナと慄《ふる》え出しながら、切れるように冷たい土を両手で掻き拡げて、丹念に探しまわってみると、泥まみれになってはいるが、脊椎骨《せぼね》らしいものが七八ツと、手足の骨かと思われるものが二三本と、わけのわからない平べったい、三角形の骨が二枚と、一番おしまいに、黒い粘《ねば》っこい泥が一パイに詰まった、頭蓋骨らしいものが一個《ひとつ》出た。
文作は、もうすこしで大声をあげるところであったが、女房が寝ていることを思い出してやっと我慢した。身体中がガタガタと慄《ふる》えて、頭が物に取り憑《つ》かれたようにガンガンと痛み出した。横路地から這うようにして往来に出ると、一目散に馳け出した。
文作が足萎え和尚の寝ている方丈の雨戸をたたいた時には、もう夜が明けはなれていたが、和尚が躄《いざ》りながら雨戸を開けて「何事か」と声をかけると、文作は「ウーン」と云うなり霜の降ったお庭へ引っくり返ってしまった。
それをやがて起きて来た梵妻《だいこく》や寺男が介抱をしてやると、やっと正気づいたので、手足の泥を洗わせて方丈へ連れ込んだのであったが、熱い湯を飲ませて落ちつかせながら、詳しく事情を聞き取るうちに、和尚はニヤリニヤリと笑い出して、何度も何度も首肯《うなず》いた。
「ウーム。そうじゃろう……そうじゃろうと思うた。実はナ……埋《うず》まっているのが人間の骨じゃと云うと、臆病者のお前が、よう掘るまいと思うたから石じゃと云うておいたのじゃが、その骨というのはナ……エエか……ほかならぬ、お前の兄貴の骨じゃぞ……」
「ゲーッ。私の兄貴の……」
「……と云うてもわかるまいが……これには深い仔細《わけ》があるのじゃ」
「ヘエッ。どんな仔細で……」
「まあ急《せ》き込まずとよう聞け。……ところでまず、その前に聞くが、お前は昨日《きのう》来た時に両親はもう居らんと云うたノ」
「ヘエ。一昨年《おととし》の大|虎列剌《コレラ》の時に死にましたので……」
「ウンウン。それじゃから云うて聞かすが、お前の母親《かかさん》というのは、ああ見えても若いうちはナカナカ男好きじゃったのでナ。ちょうどお前の処に嫁入る半年ばかり前に、拙僧《わし》の処へコッソリと相談に来おってナ……こう云うのじゃ。わたしはこの間の盆踊りの晩に、誰とも知れぬ男の胤《たね》を宿したが、まだ誰にも云わずにいるうちに、文太郎さんが養子に来ることになりました。わたしも文太郎さんなら固い人じゃけに、一緒になってもええと思うけれど、お腹《なか》の子があってはどうにもならぬ故《ゆえ》、どうか一ツ御祈祷をして下さらんかという是非ない頼みじゃ。そこで拙僧《わし》は望み通りに、真言秘密の御祈祷をしてやって、出て来た孩児《ややこ》はこれこれの処に埋めなさい……とまで指図をしておいたが……それがソレ……その骨じゃ。エエカナ……ところが、それから二十年余り経った昨日の事、お前がやって来てからの頼みで、卦《け》を立ててみると……どうじゃ……その盆踊りの晩に、お前の母親《かかさん》の腹に宿ったタネというのは、お前の父親《てておや》……すなわち文太郎のタネに相違ないという本文《ほんもん》が出たのじゃ
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