をきくと私は、すぐに納屋を出まして坑《まぶ》へ降りて、仕事をしている兼を探し出して、うしろから脳天を喰らわしてやりました。そうして旦那の処へ御厄介を願いに来ましたので……逃げも隠れも致しません。ヘエ……」
「フーム。しかしわからんナ。どうも……その兼をやっつけた理由が……」
「わかりませんか旦那……兼の野郎は私が病気しているのにつけ込んで、私を毒殺して、十両ゴマ化そうとしたに違いないのですぜ。あいつはもとから物識《ものし》りなのですからね。ネエ旦那そうでしょう、一ツ考えておくんなさい」
「ウップ……たったそれだけの理由か」
「それだけって旦那……これだけでも沢山じゃありませんか」
「……バ……馬鹿だナア貴様は……それじゃ貴様が、兼に十両貸したのは、間違いない事実だと云うんだナ」
「ヘエ。ソレに違いないと思うので……そればっかりではありません。兼の野郎が私を馬と間違えたと思うと矢鱈《やたら》に腹が立ちましたので……」
「アハハハハ……イヨイヨ馬鹿だナ貴様は……」
「ヘエ……でも私は恥を掻《か》かされると承知出来ない性分で……」
「ウーン。それはそうかも知れんが……しかし、それにしても貴様の云うことは、ちっとも訳が解らんじゃないか」
「何故ですか……旦那……」
「何故というて考えてみろ。兼のそぶりで金の貸し借りを判断するちう事からして間違っているし……」
「間違っておりません……あいつは……ワ……私を毒殺しようとしたんです……旦那の方が無理です」
「黙れッ……」
と巡査部長は不意に眼を怒らして大喝した。坑夫の云い草が機嫌に触《さわ》ったらしく、真赤になって青筋を立てた。
「黙れ……不埒《ふらち》な奴だ。第一貴様はその証拠に、その薬で風邪が治っとるじゃないか」
「ヘエ……」
と坑夫は毒気を抜かれたように口をポカンと開《あ》いた。そこいらを見まわしながら眼を白黒さしていたが、やがてグッタリとうなだれると床の上にペタリと坐り込んだ。涙をポトポト落してひれ伏した。
「……兼……済まない事をした……旦那……私を死刑にして下さい」
古鍋
「金貸し後家《ごけ》」と言えば界隈で知らぬ者は無い……五十前後の筋骨逞ましい、二《ふ》タ目と見られぬ黒アバタで……腕っ節なら男よりも強い強慾者で……三味線が上手《じょうず》で声が美しいという……それが一人娘のお加代というのと、たった二人切りで、家倉《いえくら》の立ち並んだ大きな家に住んでいた。しかし娘のお加代というのは死んだ親爺《おやじ》似かして、母親とは正反対の優しい物ごしで、色が幽霊のように白くて、縫物が上手という評判であった。
そのお加代のところへ、隣り村の畳屋の次男坊で、中学まで行った勇作というのが、この頃毎晩のように通って来るというので、兼ねてからお加代に思いをかけていた村の青年たちが非常に憤慨して、寄り寄り相談を初めた。そのあげく五月雨《さみだれ》の降る或る夕方のこと、手に手に棒千切《ぼうちぎり》を持った十四五人が「金貸し後家」の家《うち》のまわりを取り囲むと、強がりの青年が三人代表となって中に這入《はい》って、後家さんに直接談判を開始した。
「今夜この家に、隣り村の勇作が這入ったのを慥《たし》かに見届けた。尋常に引渡せばよし、あいまいな事を云うなら踏み込んで家探しをするぞ……」
という風に……。
奥から出て来た後家さんは、浴衣《ゆかた》を両方の肩へまくり上げて、黒光りする右の手でランプを……左手に団扇《うちわ》を持っていたが、上《あが》り框《かまち》に仁王立ちに突立ったまま、平気の平左で三人の青年を見下した。
「アイヨ……来ていることは間違いないよ……だけんど……それを引渡せばどうなるんだえ」
「半殺しにして仕舞うのだ。この村の娘には、ほかの村の奴の指一本|指《さ》させないのが、昔からの仕来《しきた》りだ。お前さんも知っているだろう」
「アイヨ……知っているよ。それ位の事は……ホホホホホ。けれどそれはホントにお生憎《あいにく》だったネエ。そんな用なら黙ってお帰り!」
「ナニッ……何だと……」
「何でもないよ、勇作さんは私の娘の処へ通っているのじゃないよ」
「嘘を吐《つ》け。それでなくて何で毎晩この家《うち》に……」
「ヘヘヘヘヘ。妾《わたし》が用があるから呼びつけているのさ……」
「エッ……お前さんが……」
「そうだよ。ヘヘヘヘヘ。大事な用があってね……」
「……そ……その用事というのは……」
「それは云うに云われぬ用事だよ……けんど……いずれそのうちにはわかる事だよ……ヘッヘッヘッヘッ」
青年たちは顔を見合わせた。白い歯を剥《む》き出してニタニタ笑っているアバタ面《づら》を見ているうちに、皆気味がわるくなったらしかったが、やがてその中の一人が勿体らしく、咳払いをした。
「……ようし……わかった……そんなら今夜は勘弁してやる。しかし約束を違えると承知しないぞ」
という、変梃《へんてこ》な捨科白《すてぜりふ》を残しながら三人は、無理に肩を聳《そびやか》して出て行った。
勇作はそれから後《のち》、公々然とこの家に入浸りになった。
ところが、やがて五六ヶ月経って秋の収穫期《とりいれどき》になると、後家さんの下ッ腹が約束の通りにムクムクとセリ出して来たのでドエライ評判になった。どこの稲扱《いねこ》き場《ば》でもこの噂で持ち切った。しかもその評判が最高度《ぜっちょう》に達した頃に村役場へ「勇作を娘の婿養子にする」という正式の届出《とどけで》が後家さんの手で差し出されたので、その評判は一層、輪に輪をかけることになった。
「これはどうもこの村の風儀上面白くない」と小学校の校長さんが抗議を申込んだために、村長さんがその届を握り潰している……とか……村の青年が近いうちに暴れ込む手筈になっている……とか……町の警察でも内々で事実を調べにかかっている……とかいう穿《うが》った噂まで立ったが、そのせいか「金持ち後家」の一家三人は、裏表の戸をピッタリと閉め切って、醤油買いにも油買いにも出なくなった。いつもだと後家さんは、収穫後《とりいれご》の金取り立てで忙しいのであったが、今年はそんなもようがないので、借りのある連中は皆喜んだ。
ところが又そのうちに、収穫《とりいれ》が一通り済んで、村中がお祭り気分になると、後家さんの家《うち》がいつまでも閉め込んだ切り、煙一つ立てない事にみんな気が付き初めた。初めのうちは「後家さんが、どこかへ子供を生みに行ったんだろう」なぞと暢気《のんき》なことを云っていたが、あんまり様子が変なので、とうとう駐在所の旦那がやって来て、区長さんと立ち合いの上で、裏口の南京錠をコジ離して這入ってみると、中には人ッ子一人居ない。そうして家具家財はチャンとしているようであるが、その中で唯一つ金庫の蓋が開《あ》いて、現金と通い帳が無くなっているようす……その前に男文字の手紙が一通、読みさしのまま放り出してあるのを取り上げて読んでみると、あらかたこんな意味の事が書いてあった。
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「お母さん。あなたがあの時に、勇作さんを助けて下すった御恩は忘れません。けれども、それから後《のち》の、あなたの勇作さんに対する、恩着せがましい横暴な仕うちは、イクラ恨んでも恨み切れません。妾《わたし》はもう我慢出来なくなりましたから、勇作さんと一緒に、どこか遠い所へ行ってスウィートホームを作ります。私たちは当然私たちのものになっている財産の一部を持って行きます。さようなら。どうぞ幸福に暮して下さい。
[#ここで字下げ終わり]
月 日
[#地から3字上げ]勇作
[#地から3字上げ]妻加代
母上様
それでは後家さんはどこへ行ったのだろうと、家中を探しまわると、物置の梁《はり》から、半腐りの縊死体《いしたい》となってブラ下っているのが発見された。その足下にはボロ切れに包んだ古鍋が投げ棄ててあった。
模範兵士
御維新後、煉瓦《れんが》焼きが流行《はや》った際に、村から半道ばかり上《かみ》の川添いの赤土山を、村の名主どんが半分ばかり切り取って売ってしまった。そのあとの雑木林の中から清水が湧くのを中心にして、いつからともなく乞食の部落が出来ているのを、村の者は単に川上川上と呼んでいた。
部落といっても、見すぼらしい蒲鉾小舎《かまぼこごや》が、四ツ五ツ固まっているきりであったが、それでも郵便や為替《かわせ》も来るし、越中富山の薬売りも立ち寄る。それに又この頃は、日ごとに軍服|厳《いか》めしい兵隊さんが帰省して来るというので、急に村の注意を惹き出した。何でも立派な身分の人の成《な》れの果《はて》が隠れているらしいという噂であった。
その兵隊さんというのは、郵便局員の話によると西村さんというので、眼鼻立ちのパッチリした、活動役者のように優しい青年であるが、この部落の仲間では新米らしく、すこし離れた所に蒲鉾小舎を作って、その中に床に就いたままの女を一人|匿《かく》まっている。その女の顔はよくわからないが年の頃は四十ばかりで、気味の悪いほど色の白い上品な顔で、西村さんがお土産《みやげ》をさし出すと、両手を合わせて泣きながら受け取っているのを見た……と……これは村の子守《こもり》たちの話であった。
それから後《のち》西村さんの評判は、だんだん高くなるばかりであった。その女は西村さんの何であろうか……と噂が取り取りであったが、そのうちに、村でたった一軒だけ荒物屋に配達されている新聞に、西村さんの事が大きく写真入りで出た。
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――西村二等卒は元来、東北の財産家の一人息子であったが、十三の年に父親が死ぬと間もなく一家が分散したので、母親に連れられて長崎の親類の処へ行くうちに、あわれや乞食にまで零落して終《しま》った。それから七年の間、方々を流浪していると、昨年の春から母親が癆症《ろうしょう》で、腰が抜けたので、とうとうこの川上の部落に落ちつく事になったが、丁度その時が適齢だったので、呼び出されて検査を受けると、美事に甲種で合格した。しかし西村二等卒は入営しても決して贅沢をしなかった。給料を一文も費《つか》わないばかりか、営庭の掃除の時に見付けた尾錠《びじょう》や釦《ボタン》を拾い溜めては、そんなものをなくして困っている同僚に一個一銭|宛《ずつ》で売りつけて貯金をする。そうして日曜日を待ちかねて、母親を慰めに行くことが聯隊中の評判になったので、遂に聯隊長から表彰された。性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……曰《いわ》く何……曰く何……。
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西村さんの評判はそれ以来絶頂に達した。日曜になると村の子守女が、吾《われ》も吾もと出かけて、川上の部落を取り巻いて、西村さんの親孝行振りを見物した。西村さんが病人の汚れものと、自分のシャツを一緒にして、朝霜の大川で洗濯するのを眺めながら「あたし西村さんの処へお嫁に行って上げたい」「ホンニナア」と涙ぐむ者さえあった。
そのうちに新聞社や、聯隊へ宛ててドシドシ同情金が送りつけて来たが、中には女の名前で、大枚「金五十円也」を寄贈するものが出来たりしたので、西村さんは急に金持ちになったらしく、同じ部落の者の世話で、母親の寝ている蒲鉾小舎を、家らしい形の亜鉛板《トタン》張りに建て換えたりした。
「親孝行チウはすべきもんやナア」
と村の人々は歎息し合った。
ところが間もなく大変な事が起った。
ちょうど桜がチラチラし初めて、麦畑を雲雀《ひばり》がチョロチョロして、トテモいい日曜の朝のこと。カーキー色の軍服を、平生《いつも》よりシャンと着た西村さんが、それこそ本当に活動女優ソックリの、ステキなハイカラ美人《さん》と一緒に自動車に乗って、川上の部落へやって来たのであった。
尤《もっと》もこの日に限って西村さんは、何となく気が進まぬらしい態度《ようす》で、自動車から降りると、泣き出しそうな青い顔をして尻込みをしているのを、ハイカラ美人《さん》が無理に手を引っぱっ
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