と泣き出しながら板張りへ突伏した。
 桃の刺青はこれを見ると肩を一つゆすり上げた。又も勢い付けられながら血だらけの手で鉢巻を締め直した。
「……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……」
「……そんなオボエはないぞ……」
「……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……」
「……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……」
「……ウヌッ……」
「……アレーッ……」
 桃の刺青はイキナリ土足で縁側に飛び上ろうとしたが、グイと若旦那に突き落された。その力が案外強かったので、桃の刺青はチョット驚いたらしかったが、喧嘩自慢の彼はなおも屈せずに、庭下駄穿《にわげたば》きで降りて来た若旦那を眼がけて掴みかかった。
 けれども柔道を心得ているらしい若旦那の腕力には敵《かな》わなかった。砂の上に息詰まるほどタタキ投げられた上に、尻ペタをイヤという程下駄で蹴付《けつ》けられてしまった。しかも、それをヤット我慢しながらようように頭を上げてみると、若旦那はいつの間にか縁側に上って、女たちと並んで見ているのであった。
 桃の刺青は真青になって、唇を噛んだ。起き上るや否や、
「覚えていろッ」
 と云い棄てて裏口から飛び出した。村中を駈けずって仲間を呼び出してまわったが、その仲間の四五人が、冷酒《ひやざけ》の勢いに乗じて別荘に押しかけた時分には、若旦那夫婦と女中二人を乗せたモーターボートが、大凪《おおなぎ》の沖合はるかに、音も聞こえない処に辷《すべ》っていたのであった。
 桃の刺青の仲間はいよいよ腹を立てた。炎天を走って来たお蔭で、一時に上《あが》った冷酒の悪酔いと一緒に、別荘の中へあばれ込んで、戸障子や器物を片っ端からタタキ毀《こわ》し初めた。それを押し止めに出て来たお吉婆さんまでも序《ついで》にタタキ倒おしてしまったが、その婆さんの報告で駐在巡査が駈け付けると、すぐに桃の刺青を取り押えて、ほかの四五人と一緒に裸体《はだか》のまま本署へ引っぱって行った。
 村中は忽ち大騒ぎになってしまった。この塩梅《あんばい》では四五日のうちに迫っている夏祭りがトテモ出来まいというので、年寄達が寄り合ったり、村長と区長が夕方から警察に陳情に行ったりしたが、そのうちに別荘の持ち主の方で、告訴しないように取計らった事が、町から電話で知らせて来たとかで、間もなく若い者たちは放免されることがわかったので、やっと村中が落ち付いた。
 一方に別荘はこの騒動のあった日から、門も雨戸もスッカリ閉め切って、空屋同然の姿になってしまったが、そのあくる日のこと……村の女房や守《もり》っ娘《こ》が四五人づれで、恐る恐る様子を見に行ってみると……雨戸の外の小松の蔭にブラ下がった底無しの籠の中に、いつの間にか赤い鳥が帰っていた。そうして昨日《きのう》の残りの餌をつつきながら一生懸命で叫んでいた。
「馬鹿タレ……バカタレエ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエッ……」

     八幡まいり

 収穫《とりいれ》が済んだあとの事であった。亭主の金作が朝早くから山芋掘りに行った留守に、あんまりお天気がいいので、女房のお米《よね》は家《うち》を閉め切って、子守女《こもり》のお千代に当歳の女の児《こ》を負わせた三人連れで、村から一里ばかりあるH町の八幡宮に参詣《さんけい》した。
 帰りかけたのは午後の一時頃であったが、お宮の裏の近道に新しく出来たお湯屋を見かけると、お米はチョット這入《はい》ってみたくなったので、誰も居ない番台の上に十銭玉を一つ投げ出して板の間に上った。眼を醒《さ》ましかけた子供に乳を飲まして寝かしつけて、ネンネコ袢纏《ばんてん》に包んで、隅ッ子の衣類《きもの》棚の下に置いて、活動のビラを見まわったりしながら、お千代と一所《いっしょ》に湯に這入ったが、ちょうど人の来ない時分で、お湯が生温《なまぬる》かったので、二人はいい気持になって、お湯の中でコクリコクリと居ねむりを初めた。
 そのうちに一かたげ[#「かたげ」に傍点]眠ったお米はクサメを二ツ三ツして眼を醒ましたが、高い天窓越しに、薄暗く曇って来た空を見ると、慌てて子守のお千代を揺り起した。
「チョット。妾《あたし》は洗濯物をば取り込まにゃならぬ。一足先に帰るけに、お前はあとから帰って来なさいよ。湯銭《ゆせん》は払うてあるけに……」
 お千代は濡れた手で眼をコスリながらうなずいた。お米はソソクサと身体《からだ》を拭いて着物を着て、濡れた髪を掻き上げ掻き上げ出て行った。
 それからお千代は又コクリコクリと居ねむりを初めたが、そのうちに鼻から湯を吸い込んで噎《む》せ返っているうちにスッカリ眼が醒めてしまったので、ヤット湯から上って、まだねむい眼をコスリコスリ身体を拭いた。赤い帯を色気なく結んで表に出ると、長い田圃道をブラブラと、物を忘れたような気もちで歩いて帰った。
 帰り着いてみるとお神《かみ》さんは、又も西日がテラテラし出した裏口で、石の手臼《てうす》をまわしながら、居ねむり片手に黄《き》な粉《こ》を挽《ひ》いていた。それでお千代も石臼につらまって、一所にウツラウツラしいしい加勢をしていたが、そのうちに四時頃になって夕蔭がさして来ると、山芋をドッサリ荷《かつ》いだ亭主の金作が、思いがけなく早く、裏口から帰って来た。
 金作は界隈でも評判の子煩悩《こぼんのう》であったが、山芋を土間に投げ出して、いつも子供を寝かしておく表の神棚の下まで来ると、そこいらをキョロキョロと見まわしながら、大きな声で怒鳴った。
「オイ。子供はどうしたんか」
 お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
 と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
 お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
 お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……妾《わた》しゃ……」
 二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……何《なん》しに這入ったんか……」
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……落《おと》いて来たア……」
「……ワア――ア……」
 金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
 お米も面喰《めんくら》ったまま起き上って、裏の田圃へ駈け出した。田を鋤《す》いている百姓を見付けると、金切声を振り絞った。
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
 一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがて髭《ひげ》をひねりひねり亭主をかえりみた。
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑《おか》しいじゃないか。ア――ン」
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
「迂濶《うかつ》じゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……」
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたら落《おと》いて行ったもんじゃ御座いませんでしょか」
「馬鹿な……吾《わ》が児《こ》を落す奴があるか」
 その時に男湯の入口がガラリと開《あ》いて、百姓姿の男が一人駈け込んで来た。そうして何か戸惑いでもしたように、誰も居ない男湯の板の間を見まわしながらキョロキョロしていたが、そのうちにヤット気付いたらしく、女湯の入口にまわると、泥足のまま巡査を突き退《の》けて、ハヤテのように板の間に駈け上った。……と思うと、そのあとから又二三人、野良姿の男がドカドカと這入って来た。
「居ったカッ」
「居ったッ」

−−

いなか、の、じけん 備考

 みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。



底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂
   1933(昭和8)年5月15日発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年1月13日公開
2006年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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