と聞き役になったお客が云うと、婆さんは又、オキマリのようにこう答えた。
「ヘエあなた。二度ばかり泥棒が這入りましてなあ。貴様は金を溜めているに違いないと申しましたけれどもなあ。ワタシは働いたお金をみんな東京の娘の処に送っております。それでも、あると思うならワタシを殺すなりどうなりしてユックリと探しなさいと云いましたので、茶を飲んで帰りました」
しかしこの婆さんが千円の通い帳を二ツ持っているという噂を、本当にしないものは村中に一人も居なかった。それ位にこの婆さんの吝ン坊は有名で、殆んど喰うものも喰わずに溜めていると云ってもいい位であった。そんな評判がいろいろある中《うち》にも小学校の生徒まで知っているのは「お安さん婆さんの一服三杯」という話で……。
「フフン。その一服三杯というのは飯のことかね……」
と村の者の云うことをきいていた巡査は手帳から眼を離した。
「ヘエ。それはソノ……とても旦那方にお話し致しましても本当になさらないお話で……しかしあの婆さんが死にましたのは、確かにソノ一服三杯のおかげに違いないと皆申しておりますが……」
「フフン。まあ話してみろ。参考になるかもしれん」
「ヘエ。それじゃアまアお話ししてみますが、あの婆さんは毎月一度|宛《ずつ》、駅の前の郵便局へ金を預けに行く時のほかは滅多に家《うち》を出ません。いつもたった一人で、あの茶店に居るので御座いますが、それでも村の寄り合いとか何とかいう御馳走ごとにはキット出てまいります。それも前の晩あたりから飯を食わずに、腹をペコペコにしておいて、あくる日は早くから店を閉めて、松葉杖を突張って出て来るので御座いますが、いよいよ酒の座となりますと、先ず猪口《ちょこ》で一パイ飲んで、あの青い顔を真赤にしてしまいます。それから飯ばっかりを喰い初めて、時々お汁《したじ》をチュッチュッと吸います。漬け物もすこしは喰べますが、大抵六七八杯は請け合いのようで……それからいよいよ喰えぬとなりますと、煙草を二三服吸うて、一息入れてから又初めますので、アラカタ二三杯位は詰めこみます。それからあとのお平《ひら》や煮つけなぞを、飯と一緒に重箱に一パイ詰めて帰って、その日は何もせずに、あくる日の夕方近くまで寝ます。それからポツポツ起きて重箱の中のものを突《つ》ついて夕飯にする。御承知の通り、この辺の御馳走ごとの寄り合いは、大抵時候のよい頃に多いので、どうかすると重箱の中のものが、その又あくる日の夕方までありますそうで……つまるところ一度の御馳走が十ペン位の飯にかけ合うことに……」
「ウ――ム。しかしよく食傷して死なぬものだな」
「まったくで御座います旦那様。あの痩せこけた小さな身体《からだ》に、どうして這入るかと思うくらいで……」
「ウ――ム。しかしよく考えてみるとそれは理窟に合わんじゃないか。そんなにして二日も三日も店を閉めたら、つまるところ損が行きはせんかな」
「ヘエ。それがです旦那様。最前お話し申上げましたその娘夫婦も、それを恥かしがって東京へ逃げたのだそうでございますが、お安さん婆さんに云わせますと……『自分で作ったものは腹一パイ喰べられぬ』というのだそうで……ちょうどあの婆さんが死にました日が、ここいらのお祭りで御座いましたが、法印さんの処で振舞いがありましたので、あの婆さんが又『一服三杯』をやらかしました。それが夜中になって口から出そうになったので勿体なさに、紐《ひも》でノド首を縛《しば》ったものに違いない。そうして息が詰まって狂い死にをしたのだろう……とみんな申しておりますが……」
「アハハハハハ。そんな馬鹿な……いくら吝《けち》ン坊《ぼう》でも……アッハッハッハッ……」
巡査は笑い笑い手帳と鉛筆を仕舞って帰った。
しかしお安さん婆さんの屍体解剖の結果はこの話とピッタリ一致したのであった。
蟻《あり》と蠅《はえ》
山の麓に村一番の金持ちのお邸《やしき》があって、そのまわりを十軒ばかりの小作人の家が取り巻いて一部落を作っていた。
お邸の裏手から、山へ這入るところに柿の樹と、桑の畑があったが、梅雨《つゆ》があけてから小作人の一人が山へ行きかかると、そこの一番大きい柿の樹の根方から、赤ん坊の足が一本洗い出されて、蟻と蠅が一パイにたかっているのを発見したので真青になって飛んで帰った。
やがて駐在所から、新しい自転車に乗った若い巡査がやって来て掘り出してみると、六ヶ月位の胎児で、死後一週間を経過していると推定されたので、いくらもないその部落の中の女が一人一人に取り調べられたが、怪しい者は一人も居なかった。結局残るところの嫌疑者は、この頃、都の高等女学校から帰省して御座る、お邸のお嬢さん只一人……しかもすこぶるつきのハイカラサンで、大旦那が遠方行きの留守中を幸いに、ゴロゴロ寝てばかり御座る様子がどうも怪しいということになった。
若い巡査は或る朝サアベルをガチャガチャいわせてそのお邸の門を潜った。
「ソラ御座った。イヨイヨお嬢さんが調べられさっしゃる」
と家中《うちじゅう》のものが鳴りを静めた。野良《のら》からこの様子を見て走って来るものもあった。
玄関に巡査を出迎えて、来意をきいた娘の母親が、血の気の無くなった顔をして隠居部屋に来てみると、細帯一つで寝そべって雑誌を読んでいた娘は、白粉《おしろい》の残った顔を撫でまわしながら蓬々《ほうほう》たる頭を擡《もた》げた。
「何ですって……妾《わたし》が堕胎《だたい》したかどうか巡査が調べに来ているんですって……ホホホホホ生意気な巡査だわネエ。アリバイも知らないで……」
玄関に近いので母親はハラハラした。眼顔で制しながら恐る恐る問うた。
「……ナ……何だえ。その蟻とか……蠅とかいうのは……アノ胎児《はらみご》の足にたかっていた虫のことかえ……」
「ホホホホホホそんなものじゃないわよ。何でもいいから巡査さんにそう云って頂戴……妾にはチャンとしたアリバイがありますから、心配しないでお帰んなさいッテ……」
母親はオロオロしながら玄関に引返した。
しかし巡査は娘の声をきいていたらしかった。少々興奮の体《てい》で仁王立ちになって、ポケットから手帳を出しかけていたが、母親の顔を見るとまだ何も云わぬ先にグッと睨みつけた。
「そのアリバイとは何ですか」
母親はふるえ上った。よろめきたおれむばかりに娘のところへ駈け込むと、雑誌の続きを読みかけていた娘は眉根を寄せてふり返った。
「ウルサイわねえ。ホントニ。そんなに妾が疑わしいのなら、妾の処女膜を調べて御覧なさいッて……ソウおっしゃい……失礼な……」
母親はヘタヘタと坐り込んだ。巡査も真赤になって自転車に飛び乗りながら、逃げるように立ち去った。
それ以来この部落ではアリバイという言葉が全く別の意味で流行している。
赤い松原
海岸沿いの国有防風林の松原の中に、托鉢坊主《たくはつぼうず》とチョンガレ夫婦とが、向い合わせの蒲鉾小舎《かまぼこごや》を作って住んでいた。
三人は極めて仲がいいらしく、毎朝一緒に松原を出て、一里ばかり離れた都会に貰いに行く。そうして帰りには又どこかで落ち合って、何かしら機嫌よく語り合いながら帰って来るのであった。月のいい晩なぞは、よくその松原から浮き上るような面白い音がきこえるので、村の若い者が物好きに覗いてみると蒲鉾小舎の横の空地で、チョンガレ夫婦のペコペコ三味線と四つ竹(肉の厚い竹片《たけべら》を、二枚|宛《ずつ》両手に持って、打ち合わせながら囃《はや》すもの)の拍子に合わせて、向う鉢巻の坊主が踊っていたりした。横には焚火《たきび》と一升|徳利《どくり》なぞがあった。
そのうちに世間が不景気になるにつれて、坊主の方には格別の影響も無い様子であるが、チョンガレ夫婦の貰いが、非常に減った模様で、松原へ帰る途中でも、そんな事かららしく、夫婦で口論《いさかい》をしていることが珍らしくなくなった。或る時なぞは村外れで掴み合いかけているのを、坊主が止めていたという。
ところがそのうちに三人の連れ立った姿が街道に見られなくなって、その代りに頭を青々と丸めて、法衣《ころも》を着たチョンガレの托鉢姿だけが、村の人の眼につくようになった。
……コレは可怪《おか》しい。和尚《おしょう》の方は一体何をしているのか……と例によってオセッカイな若い者が覗きに行ってみると、坊主はチョンガレの女房を、自分の蒲鉾小屋に引きずり込んで、魚なぞを釣って納まり返っている。夕方にチョンガレが帰って来ても、女房は平気で坊主のところにくっ付いているし、チョンガレも独りで煮タキして独りで寝る……おおかた法衣《ころも》と女房の取り換えっこをしたのだろう……というのが村の者の解釈であった。
ところが又その後《のち》になるとチョンガレの托鉢姿が、いつからともなく松原の中に見えなくなった。しかし蒲鉾小舎は以前のままで、チョンガレの古巣は物置みたように、枯れ松葉や、古材木が詰め込まれていた。そうして坊主がもとの木阿弥《もくあみ》の托鉢姿に帰って、松原から出て行くと、女房は女房で、坊主と別々にペコペコ三味線を抱えて都の方へ出かける。夜は一緒に寝ているのであった。
「坊主も遊んでいられなくなったらしい」
と村の者は笑った。
そのうちに冬になった。
或る夜ケタタマシク村の半鐘が鳴り出したので、人々が起きてみると、その松原が大火焔を噴き出している。アレヨアレヨといううちに西北の烈風に煽られて、見る間に数十町歩を烏有《うゆう》に帰したので、都の消防が残らず駈けつけるなぞ、一時は大変な騒ぎであったが、幸いに人畜に被害も無く、夜明け方に鎮火した。火元は無論その蒲鉾小舎で、二軒とも引き崩して積み重ねて焼いたらしい灰の下から、半焼けの女房の絞殺屍体と、その下の土饅頭《どまんじゅう》みたようなものの中から、半分骸骨になったチョンガレの屍体があらわれた。しかもそのチョンガレの頭蓋骨が掘り出されると、噛み締めた白い歯が自然と開《あ》いて、中から使いさしの猫イラズのチューブがコロガリ出たので皆ゾッとさせられた。
郵便局
鎮守の森の入口に、村の共同浴場と、青年会の道場が並んで建っていた。夏になるとその辺で、撃剣の稽古を済ました青年たちが、歌を唄ったり、湯の中で騒ぎまわったりする声が、毎晩のように田圃越《たんぼご》しの本村《ほんむら》まで聞こえた。
ところが或る晩の十時過の事。お面《めん》お籠手《こて》の声が止むと間もなく、道場の電燈がフッと消えて人声一つしなくなった。……と思うとそれから暫くして、提灯《ちょうちん》の光りが一つ森の奥からあらわれて、共同浴場の方に近づいて来た。
「来たぞ来たぞ」「シッシッ聞こえるぞ」「ナアニ大丈夫だ。相手は耳が遠いから……」
といったような囁きが浴場の周囲の物蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、又消えた。
提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三ツの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋《あばらや》に住んでいる親爺《おやじ》で、年の頃はもう六十四五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重《やえ》という白痴の娘を連れて、仕舞湯《しまいゆ》に入りに来たのであった。
親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五|分心《ぶしん》の石油ラムプを吊して火を灯《つ》けた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣《ゆかた》を脱ぐと、くの字なりに歪《ゆが》んだ右足に、黒い膏薬《こうやく》をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにラムプの下に突き出して撫でまわした。
その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪《べっぴん》という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、
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