わかった。
巡査はガッカリして汗を拭き拭き、
「馬鹿めが。何もしないのに何でおれの姿を見て逃げた」
と怒鳴りつけると、その男も汗を拭き拭き、
「ハイ。泥棒と間違えられては大変と思いましたので……どうぞ御勘弁を……」
スウィートポテトー
心中のし損ねが村の駐在所に連れ込まれた……というのでみんな見に行った。
十|燭《しょく》の電燈に照らされた板張りの上の小さな火鉢に、消し炭が一パイに盛られている傍に、男と女が寄り添うようにして跼《うずく》まって、濡《ぬ》れくたれた着物の袖《そで》を焙《あぶ》っている。どちらも都の者らしく、男は学生式のオールバックで、女は下町風の桃割れに結っていた。
硝子《ガラス》戸の外からのぞき込む人間の顔がふえて来るにつれて、二人はいよいよくっつき合って頭を下げた。
やがて四十四五に見える駐在巡査が、ドテラがけで悠然と出て来た。一パイ飲んだらしく、赤い顔をピカピカ光らして、二人の前の椅子にドッカリと腰をかけると、酔眼朦朧とした身体《からだ》をグラグラさせながら、いろんな事を尋ねては帳面につけた。そのあげくにこう云った。
「つまりお前達二人はスウィートポテトーであったのじゃナ」
硝子戸の外の暗《やみ》の中で二三人クスクスと笑った。
すると、うつむいていた若い男が、濡れた髪毛《かみのけ》を右手でパッとうしろへはね返しながら、キッと顔をあげて巡査を仰いだ。異状に興奮したらしく、白い唇をわななかしてキッパリと云った。
「……違います……スウィートハートです……」
「フフ――ウム」
と巡査は冷やかに笑いながらヒゲをひねった。
「フ――ム。ハートとポテトーとはどう違うかナ」
「ハートは心臓で、ポテトーは芋《いも》です」
と若い男はタタキつけるように云ったが、硝子戸の外でゲラゲラ笑い出した顔をチラリと見まわすと、又グッタリとうなだれた。
巡査はいよいよ上機嫌らしくヒゲを撫でまわした。
「フフフフフ。そうかな。しかしドッチにしても似たもんじゃないかナ」
若い男は怪訝《けげん》な顔をあげた。硝子戸の外の笑い声も同時に止んだ。巡査は得意らしく反《そ》り身《み》になった。
「ドッチもいらざるところで芽を吹いたり、くっつき合うて腐れ合うたりするではないか……アーン」
人が居なくなったかと思う静かさ……と思う間もなく、硝子戸の外でドッと笑いの爆発……。
若い男はハッと両手を顔にあてて、ブルブルと身をふるわした。初めから嘲弄されていたことがわかったので……同時に、横に居た桃割れも、ワッとばかり男の膝に泣き伏した。
硝子戸の外の笑い声が止め度もなく高まった。
巡査も腕を組んだまま天井をあおいだ。
「アアハアハアハア。馬鹿なやつどもじゃ。アアハアアアハア……」
空家《あきや》の傀儡踊《あやつり》
みんな田の草を取りに行っていたし、留守番の女子供も午睡《ひるね》の真最中であったので、只さえ寂《さ》びれた田舎町の全体が空ッポのようにヒッソリしていた。その出外れの裏表|二間《ふたま》をあけ放した百姓家の土間に、一人の眼のわるい乞食爺《こじきじじい》が突立って、見る人も無く、聞く人も無いのにアヤツリ人形を踊らせている。
人形は鼻の欠けた振《ふ》り袖《そで》姿で、色のさめた赤い鹿《か》の子《こ》を頭からブラ下げていた。
「観音シャマを、かこイつウけエて――。会いに――来たンやンら。みンなンみンやンら。……振りイ――の――たンもンとンにイ――北ンしよぐウれエ。晴れン間《ま》も――。さンら――にイ……。な――かア……」
歯の抜けた爺さんの義太夫はすこぶる怪しかったが、それでもかなり得意らしく、時々|霞《かす》んだ眼を天井に向けては、人形と入れ違いに首をふり立てた。
「ヘ――イ。このたびは二の替りといたしまして朝顔日記大井川の段……テテテテテ天道《てんどう》シャマア……きこえまシェぬきこえまシェぬきこえまシェぬ……チン……きこえまシェぬわいニョ――チッチッチッチッ」
「妻ア――ウワア。なンみンだンにイ――。か――き――くンるえ――テヘヘヘヘ。ショレみたんよ……光《みつ》ウ秀《ひで》エどンの……」
振り袖の人形が何の外題《げだい》でも自由自在に次から次へ踊って行くにつれて、爺さんのチョボもだんだんとぎれとぎれに怪しくなって行った。
しかし爺さんは、どうしたものかナカナカ止めなかった。ヒッソリした家の中で汗を拭き拭きシャ嗄《が》れた声を絞りつづけたので、人通りのすくない時刻ではあったが、一人立ち止まり二人引っ返ししているうちに、近所界隈の女子供や、近まわりの田に出ていた連中で、表口が一パイになって来た。
「狂人《きちがい》だろう」
と小声で云うものもあった。
そのうちに誰かが知らせたものと見えて、この家《や》の若い主人が帰って来た。手足を泥だらけにした野良着《のらぎ》のままであったが、肩を聳《そび》やかして土間に這入《はい》るとイキナリ、人形をさし上げている爺さんの襟首《えりくび》に手をかけてグイと引いた。振袖人形がハッと仰天した。そうして次の瞬間にはガックリと死んでしまった。
見物は固唾《かたず》をのんだ。どうなることか……と眼を瞠《みは》りながら……。
「……ヤイ。キ……貴様は誰にことわって俺の家《うち》へ這入った……こんな人寄せをした……」
爺さんは白い眼を一パイに見開いた。口をアングリとあけて呆然となったが、やがて震える手で傍《かたわら》の大きな信玄袋の口を拡げて、生命《いのち》よりも大切《だいじ》そうに人形を抱え上げて落し込んだ。それから両手をさしのべて、破れた麦稈《むぎわら》帽子と竹の杖を探りまわし初めた。
これを見ていた若い主人は、表に立っている人々をふり返ってニヤリと笑った。人形を入れた信玄袋をソッと取り上げて、うしろ手に隠しながらわざと声を大きくして怒鳴った。
「サア云え。何でこんな事をした。云わないと人形を返さないぞ」
何かボソボソ云いかけていた見物人が又ヒッソリとなった。
麦稈帽を阿弥陀《あみだ》に冠《かぶ》った爺さんは、竹の杖を持ったままガタガタとふるえ出した。ペッタリと土間に坐りながら片手をあげて拝む真似をした。
「……ど……どうぞお助け……御勘弁を……」
「助けてやる。勘弁してやるから申し上げろ。何がためにこの家に這入ったか。何の必要があれば……最前からアヤツリを使ってコンナに大勢の人を寄せたのか。ここを公会堂とばし思ってしたことか」
爺さんは見えぬ眼で次の間《ま》をふり返って指《さ》した。
「……サ……最前……私が……このお家に這入りまして……人形を使い初めますと……ア……あそこに居られたどこかの旦那様が……イ……一円……ク下さいまして……ヘイ……おれが飯を喰っている間《ま》に……貴様が知っているだけ踊らせてみよ……トト、……おっしゃいましたので……ヘイ……オタスケを……」
「ナニ……飯を喰ったア……一円くれたア……」
若い主人はメンクラッたらしく眼を白黒さしていたが、忽ち青くなって信玄袋を投げ出すと、次の間《ま》の上《あが》り框《かまち》に駈け寄った。そこにひろげられた枕屏風《まくらびょうぶ》の蔭に、空っぽの飯櫃《めしびつ》がころがって、無残に喰い荒された漬物の鉢と、土瓶《どびん》と、箸《はし》とが、飯粒《めしつぶ》にまみれたまま散らばっている。そんなものをチラリと見た若い主人の眼は、すぐに仏壇の下に移ったが、泥足のままかけ上って、半分開いたまんまの小抽出しを両手でかきまわした。
「ヤラレタ……」
と云ううちに見る見る青くなってドッカリと尻餅を突いた。頭を抱えて縮み込んだ。表の見物人はまん丸にした眼を見交《みかわ》した。
「……マア……可哀相に……留守番役のおふくろが死んだもんじゃけん」
「キット流れ渡りの坑夫のワルサじゃろ……」
その囁《ささや》きを押しわけてこの家《や》の若い妻君が帰って来た。やはり野良行きの姿であったが、信玄袋を探し当てて出て行く乞食爺の姿を見かえりもせずに、泥足のままツカツカと畳の上にあがると、若い主人の前にベッタリと坐り込んだ。頭の手拭を取って鬢《びん》のほつれを掻き上げた。無理に押しつけたような声で云った。
「お前さんは……お前さんは……この小抽出しに何を入れておんなさったのかえ……妾《わたし》に隠して……一口も云わないで……」
若い主人はアグラを掻いて、頭を抱えたまま、返事をしなかった。やがて濡れた筒ッポウの袖口で涙を拭いた。
下唇を噛んだまま、ジッとこの様子をながめていた妻君の血相がみるみる変って来た。不意に主人の胸倉《むなぐら》を取ると、猛烈に小突きまわし初めた。
「……えエッ。口惜しいッ。おおかた大浜(白首街《しらくびまち》)のアンチキショウの処へ持って行く金じゃったろ。畜生畜生……二人で夜《よ》の眼を寝ずに働いた養蚕《ようさん》の売り上げをば……いつまでも渡らぬと思うておったれば……エエッ……クヤシイ、クヤシイ」
しかしいくら小突かれても若い主人はアヤツリのようにうなだれて、首をグラグラさせるばかりであった。
二三人見かねて止めに這入って来たが、一番うしろの男は表の人だかりをふり返って、ペロリと赤い舌を出した。
「これがホンマのアヤツリ芝居じゃ」
みんなゲラゲラ笑い出した。
妻君が主人の胸倉を取ったままワーッと泣き出した。
一ぷく三杯
お安さんという独身者《ひとりもの》で、村一番の吝《けち》ン坊《ぼう》の六十婆さんが、鎮守様のお祭りの晩に不思議な死にようをした。
……たった一人で寝起きをしている村外れの茶屋の竈《かまど》の前で、痩せ枯《かれ》た小さな身体《からだ》が虚空《こくう》を掴んで悶絶していた。平生《ふだん》腰帯にしていた絹のボロボロの打ち紐《ひも》が、皺《しわ》だらけの首に三廻《みまわ》りほど捲かれて、ノドボトケの処で唐結《からむす》びになったままシッカリと肉に喰い込んでいたが、その結び目の近まわりが血だらけになるほど掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られている。しかし何も盗まれたもようは無く、外から人の這入った形跡も無い。法印さんの処から貰って帰ったお重詰めは、箸をつけないまま煎餅布団《せんべいぶとん》の枕元に置いてあった。貯金の通《かよ》い帳《ちょう》は方々探しまわったあげく、竈の灰の下の落し穴から発見された。その遺産を受け継ぐべき婆さんのたった一人の娘と、その婿になっている電工夫は、目下東京に居るが、急報によって帰郷の途中である。婆さんの屍体は大学で解剖することになった……近来の怪事件……というので新聞に大きく出た。
お安婆さんの茶店は、鉄道の交叉点のガードの横から、海を見晴らしたところにあった。古ぼけた葭簀《よしず》張りの下に、すこしばかりの駄菓子とラムネ。渋茶を煮出した真黒な土瓶。剥げた八寸膳の上に薄汚ない茶碗が七ツ八ツ……それでも夏は海から吹き通しだし、冬の日向きがよかったので、街道通いの行商人なぞがスッカリ狃染《なじみ》になっていた。
主人公の婆さんは三十いくつかの年に罹《かか》った熱病以来、腰が抜けて立《た》ち居《い》が不自由になると、生れて間もない娘を置き去りにして亭主が逃げてしまったので、田畠を売り払ってここで茶店を開いた。その娘がまたなかなかの別嬪《べっぴん》の利発もので、十九の春に、村一番の働き者の電工夫を婿養子に取ったが、今は夫婦とも東京の会社につとめて月給を貰っているとか。
「その娘夫婦が東京に孫を見に来い見に来いと云いますけれども、まあなるたけ若い者の足手まといになるまいと思うて、この通りどうやらこうやらしております。自分の身のまわりの事ぐらいは足腰が立ちますので……娘夫婦もこの頃はワタシに負けて、その中《うち》に孫を見せに帰って来ると云うておりますが……」
と云いながら婆さんは、青白い頬をヒクツカせて、さも得意そうにニヤリとするのであった。
「……フフン。それでも独りで淋しかろ……」
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