子であったが、十三の年に父親が死ぬと間もなく一家が分散したので、母親に連れられて長崎の親類の処へ行くうちに、あわれや乞食にまで零落して終《しま》った。それから七年の間、方々を流浪していると、昨年の春から母親が癆症《ろうしょう》で、腰が抜けたので、とうとうこの川上の部落に落ちつく事になったが、丁度その時が適齢だったので、呼び出されて検査を受けると、美事に甲種で合格した。しかし西村二等卒は入営しても決して贅沢をしなかった。給料を一文も費《つか》わないばかりか、営庭の掃除の時に見付けた尾錠《びじょう》や釦《ボタン》を拾い溜めては、そんなものをなくして困っている同僚に一個一銭|宛《ずつ》で売りつけて貯金をする。そうして日曜日を待ちかねて、母親を慰めに行くことが聯隊中の評判になったので、遂に聯隊長から表彰された。性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……曰《いわ》く何……曰く何……。
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 西村さんの評判はそれ以来絶頂に達した。日曜になると村の子守女が、吾《われ》も吾もと出かけて、川上の部落を取り巻いて、西村さんの親孝行振りを見物した。西村さんが病人の汚れもの
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