ア……」
 歯の抜けた爺さんの義太夫はすこぶる怪しかったが、それでもかなり得意らしく、時々|霞《かす》んだ眼を天井に向けては、人形と入れ違いに首をふり立てた。
「ヘ――イ。このたびは二の替りといたしまして朝顔日記大井川の段……テテテテテ天道《てんどう》シャマア……きこえまシェぬきこえまシェぬきこえまシェぬ……チン……きこえまシェぬわいニョ――チッチッチッチッ」
「妻ア――ウワア。なンみンだンにイ――。か――き――くンるえ――テヘヘヘヘ。ショレみたんよ……光《みつ》ウ秀《ひで》エどンの……」
 振り袖の人形が何の外題《げだい》でも自由自在に次から次へ踊って行くにつれて、爺さんのチョボもだんだんとぎれとぎれに怪しくなって行った。
 しかし爺さんは、どうしたものかナカナカ止めなかった。ヒッソリした家の中で汗を拭き拭きシャ嗄《が》れた声を絞りつづけたので、人通りのすくない時刻ではあったが、一人立ち止まり二人引っ返ししているうちに、近所界隈の女子供や、近まわりの田に出ていた連中で、表口が一パイになって来た。
「狂人《きちがい》だろう」
 と小声で云うものもあった。
 そのうちに誰かが知らせたもの
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