養についての認識を持つたものが少かつた爲めに、私の發表も殆んど問題にならず、たゞ東京帝大の池田菊苗博士のみが「果してそれが事實であれば非常に面白いものである‥‥」と批評されただけであつた。
私は引續きこの研究に沒頭して、四十四年の四月には陸軍の脚氣病調査會にこれを報告し、また東京化學會に於ては四十五年二月までに前後五囘に亘つて「オリザニン」の性質及びその榮養上不可缺の成分であることを報告したのであるが、それも左程注意を惹かなかつた。
私は四十四年一月、この製法の特許を出願した處、許可せられたので、兎に角、三共株式會社に於てこれを試製し、醫界に提供して廣く實驗して貰ふことにしたのであるが、その製品も殆んど顧みられず、會社では厄介視せられて居た。
ヴィタミンなる名稱
「オリザニン」の發見より一年ばかり遲れて、英國リスター研究所に於て、フンク氏が私と同樣の有效成分を抽出せることを報告した(明治四十五年二月)。而してその命名せる「ヴィタミン」なる名稱が世界一般に使用された爲に、兎角フンク氏が先鞭をつけたものゝやうに思ひ誤まられ易いが、併し當時フンク氏は、單にこれを以て鳥類の脚氣樣疾患を治
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