もう動いていた、大槻の乗っている三等室がプラットホームを歩いている千代子の前を横ぎる時、千代子はその美しい顔をそむけて横を見た。
「マア大槻という奴《やつ》は何といういけ好かない男だろう」私はこう思いながら、ぼんやりとして佇《たたず》むと、千代子の大理石のように白い素顔、露のこぼれるような瞳、口もとに言いようのない一種の愛嬌《あいきょう》をたたえて大槻に会釈した時のあでやかさ、その心象《まぼろし》がありありと眼に映って私は恐ろしい底ひしられぬ嫉妬《ねたみ》の谷に陥った。
「藤岡! 閉塞を忘れちゃあ困るよ、何をぼんやりとしているかね」
駅長のおだやかな声が聞えた。私があわてて振り向くと駅長はニッコリ笑っていた、私はもしやこの人に私のあさましい心の底を見抜かれたのではあるまいかと思うと、もうたまらなくなってコソコソと階壇を駆け上って、シグナルを上げた。
権之助坂《ごんのすけざか》のあたり、夕暮の煙が低くこめて、もしやと思ったその人の姿は影も見えない。
五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇《やすみ》の日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出
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