は世の罪を思うた。

     *    *    *

 三月十八日は高谷千代子の卒業日、私は非番で終日長峰の下宿に寝ているつもりであったけれども、何となく気が欝いでやるせがないので、家を出るとそのまま多摩川の二子《ふたこ》の方に足を向けた。木瓜《ぼけ》の花と菫《すみれ》の花とが櫟林の下に咲き乱れている。その疎《まば》らな木立越しに麦の畑が遠く続いて、菜の花の上に黒ずんだ杉の林のあらわれたところなど、景色も道も単調ではないけれど、静かな武蔵野の春にわれ知らず三里の道を行き尽して、多摩川の谷の一目に見渡される、稲荷坂《いなりさか》に出た。
 稲荷坂というのは、旧《もと》布哇《はわい》公使の別荘の横手にあって、坂の中ほどに小さい稲荷の祠《ほこら》がある。社頭から坂の両側に続いて桜が今を盛りと咲き乱れている。たまさかの休暇を私は春の錦という都に背《そむ》いて思わぬところで花を見た。祠の縁に腰をかけて、私はここで「通俗巴里一揆物語」の読みかけを出して見たが、何となく気が散って一|頁《ページ》も読むことが出来なかった。私は静かに坂を下りて、岸に沿うた蛇籠《じゃかご》の上に腰かけて静かに佳人の運
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