さぞ困るだろう」
二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林《くぬぎばやし》の下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶《とだ》えて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。
長崎の水谷造船所と九州鉄道の労働者間にこんどよほど強固な独立の労働組合が組織されて、突然その組織が発表されたことは二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私はその組合の幹部が皆小林監督の同志であって、春を待って私たちがその組合の事業を助けるために門司《もじ》に行かねばならぬということは夢にも思わなかったが今夜小林監督にその話を聞いて、私は非常に勇み立った。
実を言うと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去るということがあるからである。私はこのごろ、馴染《なじ》みの乗客に顔を見られたり、また近処の人に遇《あ》ったりすると、何だか「あやつもいつまで駅夫をしているのか」と思われるような気がして限りなき羞恥を覚えるようになって来た。その羞かしい顔をいつまでも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤《おおなみ》を眼《ま》のあたり見るような、烈しい生存の渦中に身を投げて、
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