底には、どれほどの苦痛や悲哀があるのか知れたものではない」窪《くぼ》んだ眼は今にも火を見るかと思われるばかり輝いて、彼の前にはもう何者もない、彼はもう去年プラットホームで私のために工学士を突き飛ばした工夫頭ではなくて、立派な一かどの学者だ、感にうたれ項《うなじ》を垂れて聴きとれている私の姿が、彼にとっては百千の聴衆とも見えるようである。
「時の力というものは恐ろしいものだ。大宮一件以来もう十五年になる、僕たちが非常な苦痛を嘗《な》めて蒔《ま》いた種がこのごろようやく芽を出しかけた。北海道にも、足尾にも、別子にも、長崎にも僕たちの思想《おもい》は煙のように忍び込んで、労働者も非常な勢いで覚醒《めざ》めて来た」
それから彼が、その火のような弁を続けて今にも暴風雨《あらし》の来そうな世の状態を語った時には、私の若い燃えるような血潮は、脈管に溢《あふ》れ渡って、何とも知れず涙の頬に流れるのを覚えなかったが、私の肩にソッと手を掛けて、
「惜しいもんだ。学問でもさせたらさぞ立派なものになるだろう……けれども行先の遠い身《からだ》だ、その強い感情をやがて、世の下層に沈んで野獣のようにすさんで行く同
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