よわ》い足の下にさえも蹂み躙られなければならないのか。
 翌日、千代子は化粧《よそおい》を凝らして停車場に来た。その夕、大槻は千代子を送ってプラットホームに降りたが、上野行きの終列車で帰った。土曜、日曜の夕、その後私は幾たびも大槻が千代子を送って目黒に来るのを見た。二人がひそひそと語らいながら、私の顔を見ては何事か笑い興ずるような時など、私は胸を刳《えぐ》って嬲《なぶ》り殺しにされるような思いがした。
 佳人と才子との恋はその後幾ほどもなく消え失せて大槻の姿は再び目黒の階壇に見られなくなった。例えば曠野に吐き出した列車の煤煙のように、さしも烈しかった世間の噂もいつとはなしに消えて、高谷千代子の姿はいま暮春の花と見るばかり独り、南郊の岡に咲きほこっている。

     十九

 その春のくれ、夏の初めから山の手線の複線工事が開始せられた。目黒|停車場《ステーション》の掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であった。小林浩平は数多の土方《どかた》や工夫を監督するために出張して、長峰に借家をする。一切の炊事は若い工夫が交代《かわりばん》に勤めている。私は初めて小林の勢力を眼のあたり見た、私は眼
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