玉なんだ」と誰やらがこんなことをいうた。
「女だってそうよ、虫も殺さないような顔はしていても、根が越後女だからな」私はこんな※[#「言+山」、第3水準1−91−94]誣《そしり》の声を聞くたびに言うに言われぬ辛い思いをした。私の同情は無論純粋の清い美しい同情ではなかった。二人の運命を想いやる時には、いつでも羞かしい我の影がつき纏《まと》うて、他人《ひと》の幸福《さいわい》を呪《のろ》うようなあさましい根性も萌《きざ》すのであった。
 実際千代子の大槻に対する恋は優しい、はげしい、またいじらしい初恋のまじりなき真情《まこと》であった。万事に甘い乳母を相手の生活《くらし》は千代子に自由の時を与えたので、二人夕ぐれの逍遙《そぞろあるき》など、深き悲痛《かなしみ》を包んだ私にとってはこの上なく恨めしいことであった。
 貧しき者は、忘れても人を恋するものでない。
 恋――というもおこがましいが、私にとっては切なる恋、その恋のやぶれから、言いしれぬ深い悲哀がある上に、私は思いがけない同輩《なかま》の憎悪《にくしみ》を負わなければならない身となった。それは去年の秋の蘆《ろ》工学士の事件から私は足立駅
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